園山先生とは20年前、当時、市岡と僕が所属していた劇団テアトルハカタの演出を何本かしていただき市岡と僕はその大半に出演させていただいた。つまり二人ともぺーぺーだった頃に出会っているわけで時間は、そこに完全に戻っていた。特に出演させて頂いてる市岡は完全に若手の姿勢に戻っていた。うちの劇団にいれば黙っていてもお茶や灰皿が用意され、役者を指し図している市岡が
先生に怒鳴られながら嬉しそうに演じていた。お酒の席でも先生や周囲に細やかに配慮し、それが自然で、あの細い目の、娘が本当にカミさん似でよかったと周囲が安堵したあの顔が久しぶりに男前に見えた。
さて初日の朝、劇場に着くや否や少し遅刻した為二人揃って先生に怒鳴られ、迎えに来てくれた方が少し遅かったなどとは言い訳もせず市岡は本番の準備に入り僕は先生の横で抜き稽古をみていた。時々、意見を求められたが、17年もの時間をかけて作ってきた芝居を一度稽古をみただけの意見は何を言って薄っぺらい気が自分でしてしまい、柄にもなく口ごもってしまった。稽古の間、劇団員は手極よく客入れの準備を進める。地域の方のボランティアの方々も手慣れている。地域おこしとして劇場と劇団がうまくマッチしている成功例だ。多いに参考になる。
ほんの少し時間を持て余してると先生の家に行ってご主人の入れたコーヒーを飲んでこいと言われる。昨日から何時も言って貰っていたので厚かましく先生のいないお宅に勝手にお邪魔した。まるで湯布院の別荘みたいなお宅では、ご主人が本当にコーヒーを入れて待って下さっていた。広いリビングの窓全面を開けてもらい、こりゃまた広いテラスの後ろは緑の景色が綺麗に広がっていて、それを眺めながらコーヒーを一口頂くと・・美味い!バリウマ!あまりに美味いので根掘り葉掘り聞くとなんと4~5人分のコーヒーをつくるのになんと5時間ぐらいかかる入れかたらしい後で知人に聞くとダッチ式?とかいう方法らしいが感謝して言葉がでないどころか自分が恥ずかしかった。そんなもてなしを受ける資格はまだ僕にはないように感じた。人をもてなす心が最近の僕は欠けている。なんだ一杯のコーヒーが僕の胸をあたたかくした。さらには先に劇場に向かう僕をご主人は玄関のところで正座をなさって頭をさげて「今後ともどうぞ園山の事をよろしくお願いします。」とご挨拶なさるものだから僕は3?は確実に痩せたはずである。
そして僕は完全に出雲そばのことなど頭から消えて劇場にむかった。
先生に怒鳴られながら嬉しそうに演じていた。お酒の席でも先生や周囲に細やかに配慮し、それが自然で、あの細い目の、娘が本当にカミさん似でよかったと周囲が安堵したあの顔が久しぶりに男前に見えた。
さて初日の朝、劇場に着くや否や少し遅刻した為二人揃って先生に怒鳴られ、迎えに来てくれた方が少し遅かったなどとは言い訳もせず市岡は本番の準備に入り僕は先生の横で抜き稽古をみていた。時々、意見を求められたが、17年もの時間をかけて作ってきた芝居を一度稽古をみただけの意見は何を言って薄っぺらい気が自分でしてしまい、柄にもなく口ごもってしまった。稽古の間、劇団員は手極よく客入れの準備を進める。地域の方のボランティアの方々も手慣れている。地域おこしとして劇場と劇団がうまくマッチしている成功例だ。多いに参考になる。
ほんの少し時間を持て余してると先生の家に行ってご主人の入れたコーヒーを飲んでこいと言われる。昨日から何時も言って貰っていたので厚かましく先生のいないお宅に勝手にお邪魔した。まるで湯布院の別荘みたいなお宅では、ご主人が本当にコーヒーを入れて待って下さっていた。広いリビングの窓全面を開けてもらい、こりゃまた広いテラスの後ろは緑の景色が綺麗に広がっていて、それを眺めながらコーヒーを一口頂くと・・美味い!バリウマ!あまりに美味いので根掘り葉掘り聞くとなんと4~5人分のコーヒーをつくるのになんと5時間ぐらいかかる入れかたらしい後で知人に聞くとダッチ式?とかいう方法らしいが感謝して言葉がでないどころか自分が恥ずかしかった。そんなもてなしを受ける資格はまだ僕にはないように感じた。人をもてなす心が最近の僕は欠けている。なんだ一杯のコーヒーが僕の胸をあたたかくした。さらには先に劇場に向かう僕をご主人は玄関のところで正座をなさって頭をさげて「今後ともどうぞ園山の事をよろしくお願いします。」とご挨拶なさるものだから僕は3?は確実に痩せたはずである。
そして僕は完全に出雲そばのことなど頭から消えて劇場にむかった。