過去。 | 不定期 四十路通信

過去。

とりあえず、今の人には言えない生活の始まりについて。

忘れもしない1998年 1月14日、雪の降りしきる札幌を出発。

する予定があまりの大雪の為にどうやら飛行機が飛びそうもない。

いろいろ迷ったあげくにいったん家に帰る事に。

旅行代理店に電話を入れると、

「もうすぐ臨時便が飛びそうなので、早く空港に戻って下さい!急いで!!」との事。

空港に戻ってみると、臨時便出発5分前。

初めて家族と離れて暮らす海外、普通の人達ならきっと、

自分「じゃ、行ってくるよ。」
家族「体には気をつけてね。」
家族「住所決まったら連絡するのよ(ちょっと涙)」
自分「うん。何泣いてんの、二度と会えない訳じゃないんだから(と言いつつちょい涙)」

家族の視線を背中に感じながら、不安(60%)と期待(40%)を抱えながらゲートをくぐる・・・みたいな。

ところがtoshibonzの場合はこう。

自分「やばっ!あと5分!!」
父「はぁ、はぁ、はぁ。(200mほど全力疾走のあと)」
姉「はぁ、はぁ、あんたゲートあっちだよ、早くしないと!!はい、これ自分でもって!」
自分「おう!走るわ。じゃ、また!!」
父「はぁ、はぁ、はぁ。」

ゲートをくぐる前に一度だけ振り返ると、走って疲れた父と姉が、20mほど離れた所を、こちらに背を向けて歩いていた。

実質見送り0。その時の心境、飛行機に間に合うだろうかの不安97%。汗だくなのが気になる3%。

その後、母と姉には、帰国の際にあったのだが、父には10年間、一度も会っていない。

そんなこんなでどうにかたどり着いた成田国際空港。

乗るはずの飛行機に間に合うはずもなく飛行機会社が用意したホテルに泊まる事に。

しかもさっきかいた汗が原因で、なかなかの風邪っぴき。

何かあったかいものでも食べたいな~と思ってみてもホテルのレストランは既に閉店したあと。

部屋はなかなか豪華な部屋(恐らくセミスイート)。

でも喰ったものは自販機で売ってたカップラーメン。

ベットは二つあったのだけどもちろん一人。

いやいや寂しかったね、この夜は。

人生で、BEST3に入るね。間違いなく。

そんなこんなでなんとかたどり着いた某国某空港。

始めは此処が同じ季節なのかと一瞬疑ってしまった。それほどの陽気。

みんなジーンズにTシャツ。

私、極寒冷地仕様ですが何か?

開き直って迎えにくるはずの人に連絡をしようとPhone Cardなるものを購入。

しかし電話の何処をみてもカードを入れる穴がない。

???である。おそるおそるInformationに訪ねると、

「それはね、裏の番号にかけて、暗証番号入れてどーだこーだ・・・」

ありがとうお姉さん。しかしその人にかけてみると・・・

T「○○さんですか?toshibonzですが、空港に着きました。」
迎え人「OK。じゃとりあえず、此処までバスできて。」
T「・・・」

言われた場所は空港からバスに乗って3時間はかかる町。

何の為の迎え人だよ!と突っ込みながらもバスでその町に向かったのでした。

このようにして始まった人には言えない生活がその後10余年も続いて、しかもまだ続いているとはその頃のtoshibonzが知る訳もない・・・