今日の大泉町は快晴、早起きして出掛けなくとも小屋の周りで金環日食を観ることができました。さて、小屋を留守にして、今年も仲間らと16日から18日まで白馬へ行ってきました。宿泊はスキーでもお世話になる「ホテルくらや」。自家用車に分乗し集合したメンバーら、いずれも山菜好きの14人と合流、山支度もそれぞれが様になっています。昼飯を早めに済ませ、くらやさんの好意で出していただいたマイクロバスでいざ山へ。白馬大雪渓の入口、猿倉までマイクロで行ってみたが、今年は寒さからかフキノトウがあまり出ていない。「くらや」ご主人の案内してくれた沢筋を登って、何とか土産の蕗みそが作れる位の量を、各自の頑張りでゲットできました。

白馬村・八方の手前から16日の11時頃、白馬岳を撮ったもの、雪形が現れていました。白馬の名の由来は、山に馬の形(代かき馬)の雪形が現れることから、代馬岳になったといわれています。村名や駅名など今は白馬(はくば)に統一されていますが、昔からの山男らは今でも「しろうま」と呼んでいます。雪形は、田植の時季などを知る暦代わりとして、眺められていたと聞きます。

白馬三山の右端、丸で囲ったところが「代かき馬」です。

五竜岳の左稜線に武田菱(五竜菱)、同じ場所から撮りました。鮮明で特徴があるので直ぐに分かります。武田家の紋所である割り菱紋(武田菱)の形をした雪形なので、五竜菱とも言われています。

ホテルに帰ってからも一仕事、温泉水で蕗を洗う人、刻む者らも手慣れたもの。油でいため、砂糖や味噌を加えてからの瓶詰め80個程が、夕飯前には手作りのラベルも貼って出来上がりました。

双体道祖神の姿に心を和ませられました。これは「佐野村中道祖神」です、1791年に建立された、石仏賛歌のアイドル的存在の双体道祖神です。17日は予定を「塩の道」ウォークに変更、「ホテルくらや」のマイクロバスで青木湖畔へ。ここから「道の駅はくば」まで、古の道「千国(ちくに)街道」塩の道を歩きました。北アルプスの山麓を歩く「塩の道祭り」が、5月3日から三日間、小谷村、白馬村、大町市をつないで歩くイベントとして賑やかに行われたようです。

「千国街道・塩の道」の新旧の標識も面白い。塩の道は、かって松本から糸魚川までの百二十余㌔の間を、海陸の物資を運ぶ経済路線として重要な役割を果たしていました。越後の上杉謙信が甲斐の武田信玄に塩を送ったのも、この街道だったことを思うと歴史を感じます。

杉並木の中に石仏が、佐野坂の峠付近まで点々と並ぶ。石仏は豪雪地帯の道標として、旅人の安全を祈ったものと言われています。



旧街道沿いには、ニリンソウの大群落があちこちに咲いており、山麓の春を楽しむ事が出来ました。

ニリンソウです。

エンレイソウも林間でひっそりと咲いていました、白花と比べると目立ちません。

キクザキイチゲは、白花とこの薄青い花も沢山見られました。

おまけ
金環食の木漏れ日が、道路に面白い映像を描いてくれました、右の黒い姿は私の影絵。
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