甲斐駒ヶ岳
秋の静かな甲斐駒ヶ岳&千丈ヶ岳を久しぶりに堪能しました。9月も終わりに近い27日、横浜の山仲間達4人が甲斐駒に登るというので、八ヶ岳の山荘から馳せ参じた次第です。私のいる山梨から登るのは大変ということから、長野県の伊那から戸台口・仙流荘からは南アルプス林道バスに乗って北沢峠に入って登るというルートです。イメージ 1

八ヶ岳山麓に滞在している私は、10時とゆっくりの出発。コヒガンザクラで有名な高遠城址公園で昼食を済ませていると、「道の駅南アルプスむら長谷」にいるとの連絡が入り先輩らと合流しました。マイカー規制のため、車は仙流荘バス停の駐車場に停めました。広い駐車場は登山のピークは過ぎているというのに、各地から来た車がずらりと並びさすが南アルプスの玄関口の賑わいです。

北沢峠への14:10発最終マイクロバスはほぼ定員の乗車、戸台川に沿って約一時間登っていけば終点の北沢峠に着く。運転手が周辺の山や南アルプスの成り立ち、東西日本列島の境界「フォッサ・マグナ(大地裂帯)」のことを説明してくれて飽きさせません。熊により枝がへし折られた桜や栗の木があれば徐行しながら、「木に登ってこんな太い枝まで折るんですよ!」と注意を呼びかける。「これだけ熊のことで脅かせば、熊よけの鈴をバスで売れば儲かるだろうな」と冗談まで言いながらの運転です。そういえばバス停に熊注意の張り紙がありました。朝まで土砂降りだった雨も嘘のように上がり、山の頂は雲で見えないものの快晴、明日から天気は安定するとの予報もあって次第に気持ちが高ぶってきます。

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イメージ 3今日と明日泊まる宿は、北沢峠の真ん前にある長衛荘・標高2036㍍)。長谷村村営が伊那市に合併されたので、市営の山小屋(140人宿泊可能)です。山の夕飯は16時30分と早い。飯を食いながら「こんなに早いのは病院みたいだ!」と言ったら、小屋で働くお兄さん曰く「中身が違います」だと。食事しながらゴミの持ち帰りや、連泊の場合は置いておく荷物をどうする、と言った細々とした注意を聞く。食事が終わると明日の朝食と昼の弁当2食が渡され、食堂のイスは片づけられます。テレビの天気予報で明日は快晴を確認して寝床に入ったのは7時半、消灯は8時だがなかなか寝られません。早起きして山歩きしたのなら疲れて寝てしまうでしょうが、今日は疲れもありませんので眠くないのです。小屋も空いており鼾の被害もありません、やっと寝たかと思ったら4時半には不覚にも先輩に起こされてしまいました。

まだ暗い小屋の外でお茶を沸かし、ヘッドランプの明かりでの朝食。「中の食堂ぐらい使わせてくれたらいいのに」なんてことを愚痴る。「市営だからな、役人はこれだから困る!」と小屋の対応の悪さを肴に冷たい飯を腹に流し込む。小屋を利用する登山者の立場に立った運営の仕方があって当然と思うのだが、この小屋には「泊めてやっているんだよ」「いやなら他へいけば!」といった無言の冷たさがあります。5時前には宿泊者全員が起き出していることを考えたら、暖かいみそ汁の一杯やお茶ぐらい飲めるぐらいのサービス、「気をつけて行ってらっしゃい!」と見送るのは当たり前だと思うのです。これらは登山者としては欲張りな要求なのでしょうか?

小屋を出発したのは5時半、この時間になればライトなしでも歩けます。甲斐駒ヶ岳へは仙水峠経由のルートを辿りました。私たち5人全員が高齢者というパーティーですから、当然ペースは遅い。案内書には往復で7時間20分と書いてありますが、小屋に戻ったのが4時半ですから11時間の行程でした。途中で2回のコーヒータイム、帰路には摩利支天岩峰にまで足を伸ばし、爽やかに晴れた藍色の青空を堪能しながらの山行です。今日は降水確率0㌫ということで雨具類も小屋に残しての軽装で、荷の軽いのには助かりました。

イメージ 4森林限界を抜け大きな石のゴロゴロした谷間を過ぎると、仙水峠に到着します。振り返ると明日登る千丈ヶ岳のなだらかな尾根筋が朝日を受け、ハッキリ見渡せます。

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イメージ 6甲斐駒や迫力ある摩利支天(写真F)の岩が手に取るように近くなってきました。

イメージ 7駒津峰から眺める白く輝く甲斐駒のピラミッドは、いつまで観ていても飽きません。特に今日は抜けるような雲一つない藍色の空、写真には雲があった方が良いのですが、それは欲張りというもの。デジカメは良しとしても、ポジフイルムを入れたカメラを持参したので、その出来映えにも期待が高まるのでした。イメージ 8

イメージ 9駒津峰から一旦下って花崗岩の砂礫斜面に入ると、足下が滑りやすく踏ん張りが利かないので疲れます。案内書では1時間半の登りとなっていましたが、私たちは1時間45分かって登頂を果たしました。

イメージ 10山頂に立って見渡せば、遠くに北アルプスや中央ア、八ヶ岳、南アの盟主北岳そして鳳凰三山のうしろに秀峰富士という展望に酔いしれたのです。

イメージ 11山頂で45分の昼食休憩をとって、11時半には下りました。頂上から少しくだった所にある摩利支天の岩峰まで寄り道をしました。

イメージ 12摩利支天からは、山梨側からの登山ルート黒戸尾根が望めます。このきついコースを登ったのは疲れ知らずの二十歳代の頃、登頂することだけが目的の山登りですから当時のことは殆ど覚えていません。鮮明な記憶は下山中に雷雨にあって、恐怖で駆け下ったことだけは忘れずに覚えています。


イメージ 13摩利支天像や剣が祭られており、うかつにもマリシテンなどと口にしてはいましたが、信仰の対象だったことを失念していました。そういえば甲斐駒ヶ岳も山岳信仰の山で、山梨側の登山口に駒ヶ岳神社があります。

イメージ 14山頂近くの花崗岩に、不思議な石の列がみられます。長い年月の浸食で、岩の硬さの違いがこのような面白い自然現象を見せてくれたものでしょうが、神様がちょっと遊んでみたのかな!なんて考えるとロマンが膨らみますね。

ゆっくり下ったため小屋に戻る時間が遅くなりそう、4時半の夕飯時間に間に合いそうにない。私一人が途中から先行して山小屋に戻り、到着が遅れる旨を話し飯時間をずらして貰う。心配した他のメンバーは、それでも私より20分遅れの4時半には到着できたので一安心。久しぶりに山歩きをした一人が途中から膝の痛みを訴え、遅いペースがさらに遅くなったのでした。

こんな事もあって、明日の千丈ヶ岳は4人がパスすことを決めたようです。甲斐駒ヶ岳に登れたので満足、もういいよ、明日一番のバス(10時)で下り温泉に入って帰るとのこと。千丈ヶ岳に登ってから横浜まで帰るのは辛いから、お前の所(八ヶ岳の山荘)に世話になるかなどと言っていたことは忘れてしまったようです。