何のために情報発信するか?
今日は僕が何のために情報発信するのか?
その目的をお伝えしたいと思います。


20歳で大手IT企業に就職し、
25歳の時に4人組織のリーダになりました。
その当時は、確か最年少リーダでした。
決して優秀だったわけではなく、
若い事業部で先輩がいませんでした。
そして、その1年後に結婚もしました。


自分の役割が急激に変化した時でした。
一般社員から「リーダ」(組織の責任者)
独り身から「夫」(家庭の責任者)
になりました。



今までは、自分のことを考えていればよく
まー適当に生きていても
どうにかなっていました。
会社帰りは大好きなパチスロや

同僚と飲み歩いていました。



会社では、部下は自分より年上や、

自分より経験がある方がいて
論理的に筋が通ってないと、

動いてくれなかったり
自分が早く帰っていると

なんだか仕事をお願いしづらかったり
仕事上のスキルも自分のほうが上でなくちゃ、
仕事のレビューもできないとか
いろいろなことがあり。



家庭では、

お金の管理から

将来の子供の計画や

将来の家はどうしたいとか
お互いの実家とのコミュニケーションなど、
どうしたらいいかわからないことばかりでした。



守る存在ができたことで
自分がしっかりしなきゃとか、
自分が先頭に立って頑張らなきゃ
皆が困ったときは助けなきゃとか
その時の判断基準のような軸が必要になりました。
大げさにいえば自分の在り方や

生き方みたいなものを探していました。


その軸を探していたときに

2つの考え方に出会いました。



一つ目は、

稲盛和夫さんの「生き方」からの学びです。



私の会社は稲盛さんが創った会社の子会社なので
稲盛さんの哲学を学ぶ機会が沢山あります。
そこで学んだことです


「人生の目的は、心を高めること、魂を磨くこと。

昨日よりましな今日であろう、今日よりよき明日であろうと、日々誠実に努める。その弛まぬ作業、地道な営為(えいい)つつましき求道(ぐどう)に、私たちが生きる目的や価値がたしかに存在しているのではないでしょうか。」 




2つ目は、

スティーブン・R・コビーの

「7つの習慣」からの学びです。


この書籍の中で、
自分が死んだときの葬式をイメージするワークがあるのですが
どんな人が参列してくれるか?
どんな人だったと思われたいか?
ということを考えました。



この二つに触れたとき、
あー、なんとなく生きていては
人生がもったいないなー
日々精一杯生きないといけないなーと
思いました。



また、小さなころの思い出を思い出しました。
たしか5歳ぐらいの時だったと思います
大好きだったおばあちゃんが亡くなり
そのお葬式にでました。



死の意味すらわからず参加していましたが
幼いながらも、なにか大切なことを感じました。



参列者からは
・優しい人だった。
・誰にでも優しく接してくれた。
・こういう優しい人になりたい。
・惜しい人を亡くした。



自分が死ぬときもこのように思われたい
何かを残して死んでいきたいと感じました。



死を考えるのはとてもつらいし、悲しいし、
できれば考えたくないのですが


でも死は避けて通れないものと分かっています。


死を想えるからこそ、今ある「生」を真剣に考える事ができる
と思います。




そう考えた僕は、一生懸命できることをやること
自分の経験で失敗したこと、役に立つことを
できるかぎり残し、伝えたいと思いました。



30歳の時に会社で2年目~3年目の若手社員の前で

先輩社員を代表して自分の仕事の経験を語るセミナーをやることになりました。


仕事上の苦労話や解決してきたことと

お題があったにもかかわらず


僕は人生の目的や、自分の生き方を語っていました。
30歳の若造にもかかわらず。。
会社からのお題に対しては空気を読めていませんでした。。
まあ、若手社員はポカンとしていましたが。。
(伝え方が下手だったなぁ。)



このような背景、経験を経て、

・日々何事にも一生懸命生きること
・本当に優しく強くありたいということと
・自分の経験を丁寧に伝えること


ということが僕の生きるミッションになっていきました。


何のために情報発信するのか?
それは大げさにいうと

『自分の生きた価値を残す』

ためです。



僕の情報発信が少しでも皆さんのお役に立てると幸いです。



今日も読んでくださりありがとうございました。



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