<ハンドル名>輪界の輪パパ


出走1000回以上、多くの名勝負を繰り広げてきた伏見選手のレースの中で、一番印象に残るレースは・・・。やはり、岐阜競輪場で行われたオールスター競輪の決勝戦ですかね。


その理由は、なんと言っても、特別競輪での初優勝、初タイトルであったこと。いわき平の地元ファンとして、涙を流して、喜んだことを覚えています。 当然、車券も当たった喜びも含めてですが。


しかし、僕にとっては、レースというより、この2001年という年が印象に残っています。 この年は、伏見選手にとって、競輪選手として、飛躍の年、そして挫折の始まりの年で競輪人生で最も意味のある年ではなかったでしょうか。


函館競輪場でふるさとダービーで優勝し、ビック初タイトル。オールスター競輪でも優勝。しかし、この後、世界選手権(?)で落車し、確か骨折。怪我も治らぬまま、年末の平塚競輪場でのグランプリ。ボロボロの体で、気力とプライドで走っているように見えました。結果は、見事優勝!獲得賞金も2億円超え。


でもでも、この後、怪我の影響で、苦しみの期間がありましたよね。 他人では分からない苦しみが。この苦しみがあって、今の伏見選手があると思います。ファンとしては、「よくぞ、立ち直った」という気持ちでいっぱいでした。


(勝手に言いますが)2001年があったからこそ、オリンピックでの銀メダル、そして数々のタイトルがあり、今の競輪界を代表する伏見選手があるのだと思っています。これからも、地元いわき平競輪を愛し、ファンと共に、競輪会を盛り上げて行ってください。


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<伏見コメント>


初タイトルをとったレースです。


僕にとっての25歳、2001年はこの方が代弁してくれています。地元・いわきの方なんですね。確かにGPの2カ月前に骨折し、完治せぬまま、平塚GPに出て優勝しました。集中していました。


「よくぞ、立ち直った」と思ってくれたのですね。これは口先だけではなく、ファンの皆さんが支えてくれたからこそ、です。


地元いわき平競輪をこれからもどうぞよろしくお願いします。


(【初タイトル】2001年9月・オールスターin岐阜・決勝・伏見1番車・優勝☆)