弁明と感謝 | On the Edge of the Cliff Named "LIFE"

弁明と感謝

ここ最近、このブログをアップできていません。理由は様々ですが、僕自身が最も嬉しいのは、その最も大きな理由の一つに、以前から関っていたNPOでのボランティアが含まれていることです。

もちろんボランティアという事の為、きちんとした収入が得られるわけではないのですが、これまで「うつ」と自律神経失調で自宅療養と言いつつ、かなり社会的にはひきこもっていた生活から比べれば、格段に違います。以前から知っている人々の中に戻っていったとはいえ、NPOでのボランティアのうち、子どもたちとのふれあいが楽しめるボランティアがある為、その楽しさ、そして地域社会に対して、自分が積極的に関れるのは、どこか嬉しく感じているのです。

そういったボランティアを通じて、社会復帰への第一歩を踏み出し、既に2ヶ月が経ちました。まだ身体がついていけず、終わった後に疲れきって、ダウンしてしまう事もありますが、忙しくともどこか充実した日々を送っているような気がしています。

多くの人々が言うように、僕もやはり忙しい方がどこか充実して、楽しい生活を送れるような気がしています。アメリカ、サンフランシスコの大学で4年間学んでいた頃も同じ事を思っていたような気がしています。僕が通っていた専攻の国際関係学の授業と言えば、大学とはいえ、とにかく毎回課題が多く、テキストを毎週100ページ近く読み、授業でディスカッションしたり、あるいは自分でテーマを決めたり、与えられたテーマなどについて、徹底的にリサーチをして、プレゼンテーションをしたり、そのテーマを元にしたレポートなどをとにかく書きまくっていました。そういった専攻の授業以外でも、同じ事でした。その上、授業以外で、僕は大学内の日本人留学生団体の代表を務めていましたし、サンフランシスコ市内のNPOなどでインターンやボランティアなどもしていました。

公私と共に、忙しく、かなり充実していた留学生活を送ったのだと、思っています。アメリカでの4年間の大学生活は、大変だったというよりは、楽しく、充実した日々を送った4年間だったと思っていますし、何よりかけがえのない大切な友人や知人などに多く出会え、楽しく良かった思い出の方が多いように感じています。

それから既に6年が経ち、そのうち3年近くは「うつ」と自律神経失調による自宅療養と、本当に山あり谷ありの人生になってしまっていますが、その中でも僕自身の行く末を見失わなかったのは、アメリカでの生活があったからだ、と信じています。考えてみれば、アメリカにいた4年間で「うつ」に近い症状になったり、日本であったよりも怖いと思うような出来事に遭遇したり、まったく知らない土地へ一人で旅をした事もあります。とはいえ、僕自身は、友人や知人などに比べたら、まだ大きく動いたようには思えていません。

それでも、やはりあの頃の思い出や、アメリカ留学時代に出会った友人たちとMixiやFacebookなどの各種SNSと今も連絡を取り合っていて、しかもこの僕自身のブログをそういった各種SNSにリンクしてある為、そこからこのブログに目を通した友人や知人たちから叱咤激励のメッセージやコメントをもらっています。ネットを通じて、とはいえ、そういった多くの人々といまだにつながりがあることは、本当にありがたく、嬉しく思っています。ネットだけでなく、現実の社会、特に身近な地域、また日本にいても遠く離れた友人から手紙などをもらう事もあり、どんな形であれ、数多くの友人・知人、特にアメリカ留学する事を決め、実際に留学し、それを終えるまでの間に出会った友人や知人は、僕にとって、本当に大切な「財産」だと思っています。