息苦しく感じると | On the Edge of the Cliff Named "LIFE"

息苦しく感じると

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今日はいくつかやりたい事を考えていて、午前中に目を覚ましたものの、その瞬間に同居する父方の祖父母の口論に、今日休みだった父の直情的な言葉を聞いてしまい、気分が一気に滅入り、そのまま昼過ぎまで寝入ってしまいました。祖父母の口論はいつもの事であり、最近は祖父に車の運転をさせなくなり、認知症が激しくなっているものの、それを受け入れられない祖母と、受け入れつつもその言葉にその配慮が見られない父がその間に入ると、さらに激しい親子の口論となっていき、聞いているだけで嫌になります。

もちろん家族だけに会話が徐々に感情的になってしまうのは理解出来ますが、僕には祖父母や父の感情的な会話に入り込んでいく余裕もなく、また常にこの実家に戻り、そこから抜け出せなくなっている自分が嫌でたまりません。思春期の頃から実家に対して複雑な想いを感じ、高校卒業後に実家はおろか日本も飛び出した僕にとって、実家はあくまで実家であり、故郷でしかなく、サンフランシスコの大学を卒業後に、一度帰国し、実家に戻ったとはいえ、やはり実家は僕がいる場所ではないような気がしています。やはり「故郷は遠くにありて想ふもの」なのかもしれません。

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昼過ぎに目を覚ましたものの、やはり自分がしたかった事は出来ず、また家族との関係に精神的な圧迫を感じてしまい、ますます自分を許せず、自分を責めてしまいます。そうなって来ると、もはや自己嫌悪に陥り、精神的に苦しくなってしまいます。そうなってしまうと、本当に息苦しくなり、家を出ていきたくなります。

気分転換に外出し、愛車三菱パジェロジュニアでまた海を見に来ました。先週末にぶつけてしまい、修理費の見積もりは作ってもらったものの、まだ修理はしていないとはいえ、相変わらず愛車には変わりなく、大切に乗りこなしています。それにやはり車好きな僕としては、愛車三菱パジェロジュニアでドライブするのは最高の気分転換になります。

その愛車を走らせて、海、お気に入りの場所となってきた中部国際空港が望めるりんくう常滑の人工海岸にやって来ました。この海岸で潮風と波音、そして中部国際空港を離発着する飛行機を眺め、鈴鹿山脈に沈み行く夕日を見ていると、不思議と心が落ち着いてきます。

中部国際空港を除いた伊勢湾の光景は、今も昔も変わらない気がします。伊勢湾という海を身近に生まれ育った僕には、その伊勢湾を眺めるというのは、最高のヒーリングであり、リラクゼーションなのかもしれません。そしてそう感じられるのは、僕の中に流れる漁師町で生まれ育った母方の祖母の血筋なのかもしれません。

もっとも母方の祖母の母、つまり僕の曾祖母は、最後は寝たきりになってしまったとはいえ、その時に日本酒の一升瓶を抱えていたという逸話を持つ女性です。その曾祖母以外にも話を聞いていくと、父方も母方も双方の家系をたどっていくと、まさに女傑と呼べる女性が多いような気がします。そういった女性の血筋が僕の中に流れているのは、ある意味楽しく、敬意を感じ、その心を僕も受け継いでいる気がします。そういった女性たちは明治時代に生まれ育った為、どこか日本の歴史、また女性の権利と闘ってきたのかもしれません。やはり「母は強し」といった感じがします。

もしかしたら、僕の中にあるフェミニズムの思想の根底はそういった女性たちから受け継いできたなかもしれません。またアメリカで様々な国々の人々と出会い、その中でアメリカやヨーロッパの男性が見せるさりげないレディーファーストの精神を強く意識しているのもそういった女性を知っているからかもしれません。

そんな事を大好きな海、母なる海を見て、感じています。もはや考えるというより、肌で感じているのです。