日本文化と日本人

日本文化と日本人

日頃、思ってみたりしていること、この日本社会のこと、日本人のことなどエッセイ風につづる。

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 流行にみる同調志向はむかしから存在する。同調志向があるゆえに流行になるのだから当然だが、それが自然の流れで広がるのではなく、意図的にそれが広められ、一つの意志のもと顕現するとしたら問題である。かつてイタリアのファシスト党は黒シャツを党員の証とした。ナチスの突撃隊もカーキ色のシャツを着用して勢力を誇示した。戦中の日本では国民総動員の掛け声の下、国民服やモンペが推奨された。服装を一体化することで内心の一体化を求めた。全体主義はユニホームを要求する。服装の統一を強要するのは全体主義への入り口なのだ。

それにつけても、今、巷にあふれる黒一色の服装な何なのだ。誰かの強要ではないが、今や流行になっている。昔から黒が流行る時は不景気になるとか、戦争になるとかいわれているが、いやな予感がする。

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今、世間の注目をあびている「ジャニーズ事務所問題」にひそむマスコミ等の同調志向がかつてあって、それが問題を放置し、拡大してきたと指摘されている。問題が明るみに出てからは、かつての「沈黙」から雪崩のごとくマスコミが問題点を取り上げ、指摘している。この「沈黙」から「雪崩」への手のひら返しは、みずからの責任を不問にして、新しい空気に便乗する、という行為である。思い返せば、この前の戦争のさなか、軍部のプロパガンダに便乗し、聖戦を鼓舞したマスコミの姿勢を思い返す。敗戦後、マスコミは手のひらを返すように戦後民主主義を声高に讃えた。ここに内省的な検証がない。「同調志向」から目が覚めると、今度は「手のひら返し」をする。この全体主義的な動き、空気は戦前も今も変わっていないのである。これが問題だし、検証しななければならない課題なのだ

日本における美談について事例をあげてみよう。

あの東北大震災のおりのことだ。津波が押し寄せることが想定されて住民に退避勧告が出されていた。そんななか、危険を顧みず、最後まで住民の避難を呼びかけていた消防団員の方が、津波にまきこまれ遭難した。職務とはいいながら命とひきかえにみずからの職責全うした。個を犠牲にして、集団の論理であるタテマエに殉じたのであり、これは大いなる美談としてとりあげられた。

この前の戦争で国のために殉じることは名誉とされ、美談とされた。この時代に支配的であった強制的な集団の論理は凄まじいものがあった。が、こうした行為を肯定的にみる考えが今もこの社会には存在しているのである。