ずっと多忙で、久々の更新になってしまった。実は、3月に孔先生からビジネスの話をいただき、そのために資格が必要になった。

 

孔先生とのご縁もつなぎたいし、再び世界に出るという私の夢にも一歩近づく。だから、資格の取得を目指して4月から学校に通っている。

 

まさか、この年で受験勉強をすることになるとは、夢にも思わなかった。しかも、3月開校だったので、1カ月出遅れた。

 

今は授業に追いつくための勉強中で、本当はブログを書いてる余裕はない。そこで、ブログを早く切り上げるために、いよいよ心の浄化について書くことにした。

 

心の浄化の中でも、内観は最も基本的なものだ。また、原先生のところで、4月に1年ぶりで内観をしてきた。なので、今回の記事は内観をテーマにする。

 

今回の記事も長い。だが、読めば内観については、初歩から高度なレベルまで理解できるだろう。ぜひ、最後まで読んでほしい。

 

ところで、このブログでは、私の師匠の中でも魔女夫美子さんを取り上げることが多かった。魔女とは最も相性がいいので、自然と書く回数が増えた。また、去年は夫美子さんのクラスに通っていたので、彼女を語ることも多かった。

 

その夫美子さんのクラスも3月に卒業した。だが、リーディングをもっと極めたかったので、4月からインターンになった。ヒーリングも、インターンにはなれた。だが、6月から魔女のヒーリングクラスが始まる。なので、ヒーリングはそちらに通うことにした。

 

この2人と比べて、原先生を紹介することは少なかった。しかし、彼女との付き合いは2011年の10月からだ。なので、師匠の中では最も古い付き合いだ。そして、今の自分があるのは、彼女のおかげだと思っている。

 

原先生は、私のスピリチャルの原点だ。彼女のところで浄化したおかげで、魔女夫美子さんのところに通えたと思っている。魔女は独特の結界を張っていて、邪悪な人間を寄せ付けない。

 

また、夫美子さんもオーラが見えるので、オーラの汚れた人間は弾かれる。だから、浄化前の私では、恐らく2人に弟子入りできなかっただろう。

 

心の浄化だけをコツコツやっていけば、サイキックの能力は自然と身に付く。だから私は、心の浄化が最も大切だと思っている。だが、それだけではアセンションに間に合わない。だから、2人のところでエネルギーワークも並行して行っているのだ。

 

心の浄化のステップは、内観からスタートする。そして止観、対人関係調和へと進んで行く。では、そもそも内観とは何か。

 

内観の創始者は、吉本伊信(よしもと いしん)という人だ。だが、その起源は古く、親鸞が説く浄土真宗の悪人正機説(あくにんしょうきせつ)に由来する。

 

では、悪人正機とは何か。「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや(善人でさえ往生できるのに、なぜ悪人が往生できないことがあろうか)」。この歎異抄(たんにしょう)第三章の言葉が、悪人正機説を語るものとしてよく知られている。

 

親鸞は、仏の眼から見れば、すべての人間は悪人だと考えた。だから、彼にとって善人とは、人間の真実の姿がわからない凡人にすぎない。その善人でさえ往生できる。だから、真実に目覚めて、自らが悪人であると気付いた者が往生できない訳がない。

 

つまり、上記の言葉には、自分を善人だと思っている者に対する皮肉が込められているのだ。

 

したがって、自分は悪しかなしえないと目覚めた者は、必然的に自力ではなく他力(阿弥陀如来の力)を頼む。その結果、悪人こそが阿弥陀如来の救済の対象(正機)となる。悪人正機とは、そういう意味だ。

 

インドの聖者バガヴァンによると、聖人と凡人の違いは、自分の醜さを全て見切ったかどうかにある。要は、聖人とは、自分の内側が肥溜めだと自覚している人のことだ。

 

だからバガヴァンに師事する原先生も、親鸞は自分の醜さを100%見切って覚醒し、聖人になったという。

 

では、自分の醜さをどうやって見切ればいいのか。その方法を伝えるのが、浄土真宗系の信仰集団、諦観庵(たいかんあん)の「身調べ」だ。

 

身調べ」は、断食、断眠、断水という極めて厳しい条件の下で自分自身の行為を振り返る。そうやって、地獄行きの種が多いか、極楽行きの種が多いかを調べていく。

 

吉本伊信は1936年から4度にわたり[身調べ」を繰り返した。そして、1937年11月に、「宿善開発(しゅくぜんかいほつ)」という一種の悟りを達成し、阿弥陀如来の救済を確信した。

 

しかし、吉本伊信は1940年ごろから師の駒谷諦信とともに、「身調べ」から宗教色、苦行性を取り除き、それを万人向けの修養法に改革してゆく。そして、1941年に内観法の原型を完成した。

 

さらに、1953年には、自ら立ち上げた内装業の「シンコール」という会社の経営から引退。その事業で得たお金で、奈良県大和郡山市に内観道場(のちの内観研修所)を建設し、内観の指導と普及に専念した。

 

現在、全国の内観研修所で使われている内観三項目が成立したのは1967年だ。その三項目とは、

 

1.したもらったこと(お世話になったこと)

2.して返したこと(お返ししたこと)

3.迷惑をかけたこと

 

たった3つの観点から、1人の相手に対して自分がどうであったかを年代を区切って順番に調べていく。これが内観だ。読者に方は、あまりのシンプルさに拍子抜けしたかもしれない。だが、これが信じられないほど奥が深いのだ。

 

この内観を研修所の静かな一室に一週間こもり、外界とのやり取りを遮断して行う。これが集中内観だ。また、集中内観後、日常生活の中で毎日一定時間、内観三項目を通して自分を調べる。これが日常内観で、吉本伊信は日常内観を非常に重視した。

 

原先生のところの内観シートにも内観三項目が書かれている。しかし、彼女のところの内観は3日間だ。3日間で一週間の集中内観と同じ効果を上げるために、彼女の内観では独特の呼吸法を使う。呼吸法で真我とつながり、その力を借りてシートを書くのだ。

 

すなわち阿弥陀如来ではなく、自分の真我に祈って、その力を頼りに思い出した事実を筆記していく。それが原式内観法の特徴だ。

 

だが吉本伊信は、「畳にしがみついて号泣慟哭している人が、チョット、メモしておかなければ忘れるというのはおかしい。メモを書いている時間、文章を考えている時間あれば、一分一秒を惜しんで内観してほしい」という。だから、筆記内観には否定的だった。

 

けれども、それは深い内観ができて初めて言えることだ。私の経験でいえば、筆記内観の方が効果がある。特に初心者の方には、こちらがお勧めだ。

 

私は、原式呼吸法の講師の資格を持っているので、呼吸法は問題ない。しかし、未だに内観が苦手で、なかなか深い内観ができない。次回に述べる止観の方が得意だ。

 

では、深い内観とはどんなものか。それを説明する前に、まず内観の目的について述べる。もちろん、心の浄化が目的であることは言うまでもない。原先生はさらに、感謝を引き出すことが内観の目的だという。

 

吉本伊信も内観の目的を、「いかなる逆境に遇っても、つねに感謝報恩の心境で暮らせる気持ちに大転換すること」と述べている。

 

感謝報恩とは、自然と今あることが「有り難い」と感じ、それに報いたいと思えることだ。そしてそうなるためには、生きていく中で心に引っかかった、もやもやしている出来事を見つめ直し、捉え直していく作業が必要になる。それが内観だと吉本伊信はいう。

 

実は、内観の3項目が感謝を引き出すメカニズムとして働く。例えば、自分の母親に対して、「してもらったこと」、「して返したこと」、「迷惑をかけたこと」を振り返ってみる。そうすると、大半の人は、

 

「して返したこと」<「してもらったこと」+「迷惑をかけたこと」

 

になるはずだ。当然私もそうで、その時は唖然とした。

 

さらに、「迷惑をかけたこと」の項目だけを調べてみても、今まで気付かなかった自分の至らなさがたくさん見えてくる。

 

いずれの場合も、結果として懺悔の気持ちが沸く。と同時に、それでもしていただいたという事実に対して感謝の気持ちが湧いてくる。懺悔の気持ちが感謝の気持ちに転換するのだ。

 

したがって、内観の3項目は全体としてだけでなく、「迷惑をかけたこと」単独でも感謝を引き出すことができる。さすがに吉本伊信の長年の試行錯誤が結実した項目だけのことはある。シンプルに見える中に、2重の感謝を引き出すメカニズムが内臓されているのだ。

 

私がこのことに気付いたのは、北陸内観研修所で集中内観をしていた時のことだ。そこでは、内観3項目を調べる時に、「してもらったこと」に20%、「して返したこと」に20%、「迷惑をかけたこと」に60%の時間配分にするよう指導された。

 

「迷惑をかけたこと」を特に入念に調べたことで、この2重のメカニズムに気付くことができた。だが、そこではもっと大きな気付きがあった。私なりに内観の究極目的といえるものを理解できたのだ。

 

そのことを書くためにも、北陸内観研修所での体験をこれから書いていく。

 

北陸内観研修所は富山県富山市にある。私がそこを訪ねたのは2013年の5月のことだ。当時は父の介護施設の手配に奔走していた。しかし、父が病院に一時的に入院して、症状が安定した。なので、このタイミングしかないと思って研修所の門を叩いた。

 

原先生は、全国の内観研修所の中でもここを勧めている。原先生はもとより、渋谷先生や吉岡さんなどの講師もここを利用してきた。吉本伊信の内観原法を伝える由緒ある場所だからだ。

 

実際、私が入所した3日後に原先生がやって来た。その時は、未だにここで研鑽する姿に、頭が下がった。

 

また、食事がおいしいことも、ここが選ばれる理由の一つだ。素朴な料理なのだが、なぜかおいしい。

 

私は毎回食事の時間が楽しみで、つい食べ過ぎてしまった。本当は内観する時は小食にした方がいい。それで途中からさすがに量を少し減らしたが、それでも腹九分以下にはできなかった。

 

ここの前所長である長島正博さんは、もう亡くなられたが、吉本伊信夫妻のもとで9年間助手を務めた人だ。現所長の長島美稚子さんは彼の妻で、私は彼女から面接と指導を受けた。

 

面接では、毎回「この時間、どのようなことを調べてくださいましたか」と面接者から質問される。それに対して、自分が調べたことを報告する。1時間~2時間に1回の割合で面接者が自分の部屋に来る。なので、1日8回~10回の面接がある。

 

面接は長島所長だけでなく、その後彼女の娘さんと結婚された貫井さんにもしていただいた。彼の顔は、原先生のところで見て知っていた。だが、まさかここの面接者だったとは思いもよらなかった。

 

原先生は、「現状維持はなく、進歩か後退しかない」とよくいう。彼の顔を見た時に、その言葉を思い出した。やはり面接者になるような人は、常に修練を怠らない。そう思って感心したことを覚えている。

 

面接時は、内観中に想起したことの中から「してもらったこと」を一つ、「して返したこと」を一つ、「迷惑をかけたこと」を一つだけ選んで話す。だから1回の面接時間は2~3分間、長くても5分間以内になる。

 

長島所長からは、その後コメントをいただいたが、それもそんなに長くはなかった。できるだけ時間を内観に当てるためだ。

 

朝5時起床、夜9時就寝。朝30分間掃除をし、一日15時間半内観をする。これを7泊8日の期間を通じてずっと行う。朝、昼、夕の食事時に60分~90分の内観テープを聞く。それと面接以外は、ひたすら自分の内面を見つめ続ける。

 

正直、よほどの覚悟がないとできることではない。だが、当時の私は自分の目の状態と父の介護のことで本当に切羽詰まっていた。だから、現状を変えるため、これに賭けるしかなかった。

 

内観原法では、部屋の隅に二枚屏風を立てて、その中で安座する。あぐらでも、立てひざでもかまわない。だが、とにかく屏風の前に座る。そして、3項目について過去の出来事を思い出すことに集中する。

 

私の場合、筆記内観だったので、机と椅子を与えてもらった。だが、その他は、全て内観原法に従った。原則は、母に対する自分を小学校低学年から調べ始める。3項目について、具体的な事実を過去から現在まで年代順に3~5年ごとに区切って調べていく。

 

思い出すのが難しい人の場合は、例外的に現在から過去にさかのぼって調べる場合もある。だが、順調に内観できるようになれば、過去から現在という本来のやり方に戻す。

 

私は父との葛藤が大きかったので、父のことから始めたかった。だが、今まで原先生のところでも内観が浅くしかできなかった。だから、わざわざ富山まで来たのだと思い直して、素直に原則に従うことにした。

 

それゆえ、内観中は呼吸法も使わなかった。筆記内観以外はすべて、内観原法の通りにしたかったからだ。

 

内観では、母が終われば、次は父、配偶者、子供、祖父母と調べていく。それが終わるとさらに、友人、恩師、上司、部下、取引先など、これまでの人生で自分との関わりの深い順に一人ずつ調べていく。

 

また、感謝が沸かない時には、養育費の計算をする時もある。私は原先生のところでそれをしたが、その時は父に対する憎しみがまだ大きかったため、あまり感謝が沸かなかった。

 

感謝は無理にしようと思ってもできるものではない。それを引き出すには、淡々と3項目に対する事実を積み上げていくしかない。養育費の計算も、そうした事実の内の一つだ。

 

そうした事実の蓄積量がある臨界点を超えると、一気に感謝が泉のように沸き上がってくる。だからこそ、内観では自分を見つめている時間の量が重要になる。それに比例して思い出す事実の量が増えるからだ。

 

この時の研修では、貫井さんと話し合って、母と父を「嘘と盗み」を挟んで、2度調べることにした。「嘘と盗み」は原先生のところでも、必ず内観3日目に行う。内観の重要なテーマではあるが、これだけで1つの記事が書ける。なので、別の機会に説明したい。

 

また、父の内観についても、ここでは省略する。父については次回の止観で取り上げるからだ。なので、今回は母の内観だけを書く。

 

実は、私には2人の母がいる、実母と育ての母だ。実母は私が3才ぐらいの時に家を出てい行った。だから、かすかな記憶しかない。その後はずっと今の母に育てられた。

 

だが、今の母には甘えた記憶がない。気持ちのやさしい人だし、別に嫌いだったわけではない。ただ、父より16才年下で、母親というよりは父の妻という感じで見ていた。

 

子供の目から見ても、当時の母は若くてきれいだった。だが、逆にそれが嫌だった。通常であれば、自分の母親がきれいであれば自慢したがるものだ。実際、小学生時代に、私の友達は自分の母親が美人なのを自慢していた。

 

だが、それも程度による。私の母は、若さでも美しさでも他の母親を圧倒していた。もし、それが同じ年代の中で美しいのなら、私も自慢したかもしれない。

 

けれども、参観日などでは明らかに私の母だけが浮いていた。それで、本当の母親でないことがバレるのが嫌だった。

 

今から考えればつまらないことだが、当時はそのことを気にしていた。だから、参観日には来ないでほしいと思っていた。もちろん、そんなことを言えるはずがなかったが・・・。

 

なので、母とはいつも少し距離を置いて接していた。高校の時に、母は寂しい思いを1度だけ私に口にしたことがあった。だが、その気持ちに向き合うことは、当時の生意気盛りの私には、面倒くさいことでしかなかった。

 

母に対してはずっとそんな態度だったので、1回目の内観では、相変わらず断片的な記憶が思い出されただけだった。予想されたことだが、やはり浅いものに終わった。父に対しても同様だった。ほとんど進展がなかった。

 

それで、1回目の内観が終わった時に、やはり自分には内観の才能がないのかと落ち込んだことを覚えている。だが、内観テープを聴くことで、その落ち込みから脱却して、再び前を向くことができた。

 

当時内観研修所には、私と同時に入所した人が2人いた。1人は男性で、後からわかったことだが、彼は企業研修の一環として参加していた。もう1人は女性で、心の病の治療として内観をしていた。

 

研修中は、各自が個室からほとんど出ないので、彼らと会うことはめったにない。ただ、中庭を散歩することだけは許されていた。当時中庭に出ると、5月の新緑と青空が広がり、とてもすがすがしかった。しかも、幸運なことに、研修中は全日快晴だった。

 

彼らとそこで顔を合わせることはあった。しかし、そこで言葉を交わすことは禁止されていた。

 

最初、3人には同じテープが配られた。しかし、途中で長島所長から、「あなたは道を求めているようだから、他のテープにしましょうね」と言われた。そしてその後は、2人とは別のテープが渡された。

 

私は別に道を求めていたわけではない。ただ、不幸な現実を変えたい一心で参加しただけだ。そう思ったが、別に断る理由もなかったので、素直に渡されたテープを聴いてみた。

 

すると、その内容がすごかった。初めの頃のテープと全然中身が違う。その中には、死刑囚が内観したテープとか、前所長が死ぬ間際に内観したテープがあった。

 

また、毎日日常内観を行い、毎週はがきでそれを吉本伊信に報告し続けた女性のテープ。それから、身調べ法に近い極限の内観に挑戦した医師のテープもあった。彼の場合、思い出す間隔の区切りは、年単位ではなく何と1日単位だった。

 

これらのテープを聴いて、内観の厳しさを改めて知った。と同時に、自分の落胆が馬鹿馬鹿しくなってきた。自分の本気度が全然足りないことがわかったからだ。

 

なので、気を取り直して、2回目の内観に臨んだ。2回目の内観は、1回目のシートに追記する形で行った。これができることが、筆記内観の1つのメリットだ。

 

普通、1回目の内観で何を思い出したか、全部覚えていない。だから、1回目と2回目の内観で思い出すことが重複することは避けられない。しかし、シートに書き加えることで、前回何を思い出したか、いちいち悩まなくてすむ。

 

さらに、新しく思い出したことだけがシートに書き加わるので、思い出した事実の総量を目ではっきりと確認できる。しかも、書き出した事実の量が増えてからそれを眺めると、行間から今まで見えなかった事実が見えてくる。これが内観を深めるのに大いに役に立った。

 

だが、この詳細を話す前に、実母の内観について、少し話しておく。2回目の内観では、今の母の前に実母に対する内観も行った。内観原法が、二回目からは、物心ついてから、小学校へ入るまでのことも調べるように勧めているからだ。

 

実母については、かすかな記憶しかない。だが、父が母をビニール製の緑のバットで殴ろうとした光景だけは、鮮明に覚えていた。そして、その原因は私が母のことを父に言いつけたからだと思っていた。また、母が父のせいで精神を病んでいたことも、はっきりと覚えていた。

 

そのことは、その時まで誰にも話したことがなかった。だが、それを長島所長に話した時に、急に涙が溢れ出て来た。

 

実は、育ての母も、実母同様、父に耐えられずに家出を2回している。私が中学3年の時と、高校1年の時だ。そのせいで、アルコール依存症にもなってしまった。そのことで、当然父対する怒りを覚えた。しかし、同時に母のことをずっと意志の弱い人間と見下してきた。

 

けれども、その母親に対するイメージが、2回目の内観で180度変わった。細かいことは忘れたが、確か10代を調べて気付いたことを長島所長に話している時だったと思う。

 

シートを見ながら彼女に話しているうちに、突然今まで見えなかった事実が、パーンとシートの行間から浮き上がってきた。

 

母が10代の私に父のことで愚痴を言ったことは、2度しか記憶にない。2回家出したくらいだから、本当はたくさんあったはずだ。私も33才の時に父が原因で実家を出たので、そう断言できる。

 

その後も、父の醜い姿(実は自分の醜い姿の反映だった)をさんざん見て来たから、そのことは間違いない。

 

しかし、それを母が私と父の間に立って、見せないようにしてくれていた。だから、父と私の関係は、28歳の時に大ゲンカするまではうまくいっていた。しかし、それが母のおかげだということは、恥ずかしながらこの時まで全く気が付かなかった。

 

もし、母がいなかたかったら、もっと早く家を出て、場合によってはグレていたかもしれない。そう思うと、母に対する感謝の念が一気に沸き上がってきた。

 

それと同時に、母の強さにも感動した。私なら、愚痴も言わず、何事も無かったように振る舞うことなど、絶対にできなかっただろう。母が防波堤となってくれたことが、そのまま私に対する愛情として感じられた。

 

さらに母が陰で努力してくれていたにもかかわらず、母のことをかばいもせず、距離を置いて見ていただけの自分の冷酷さ、アルコールに溺れた弱さを軽蔑した自分の傲慢さも見えてきた。だから、懺悔の気持ちも込み上げてきた。

 

それで研修の1カ月後ぐらいに、セレネの勧めもあり、この時の気付きを母に話してお礼を述べた。また、去年の6月には、遅ればせながら母に感謝の手紙も書いた。特に手紙については、母が他の人にも話しているので、喜んでもらえたようだ。

 

とにかく、この時初めて深い内観をすることができた。内観が深いとは、「記憶想起の量や質と感動量が良好」なことと定義されている。だから、内観の深さを測る一つの指標は、記憶想起にある。

 

過去のエヒソードをどれだけ鮮明に思い出せるかがポイントだが、そのためには当然日数が必要になる。しかし、筆記内観も日数と同様、記憶想起に資することをこの時発見した。

 

気付いたことをていねいに書き留めていくことによって、行間から新たな気付きを引き出すことができる。この時学んだ手法は、止観などの他のシートでも役立っている。

 

もう一つの深い内観の指標は感動だ。大きな感動は、今まで思い込んでいたことを、「そうではなかった」と捉え直せた時に生まれる。ネガティブな出来事をさまざまな側面から理解し直した瞬間に、大きな感動が起こるのだ。

 

それは、心の転換によって生じるポジィティブな情動だ。したがって深い内観ができると、思いもしなかった記憶想起と感動を味わうことができる。

 

ところで、内観は3つの質問に対する記憶想起のトレーニングでもある。そのため、7泊目に不思議なことが起こった。

 

夜9時に床に就いた途端に、小さい頃よく口ずさんだテレビアニメの主題歌が、頭の中に鳴り響いたのだ。恐らく実母の内観時に、幼少時の記憶を思い出そうとしたからだろう。歌が次から次へと出てきて、なかなか眠れなかった。

 

内観原法の期間は7泊8日間だ。6泊7日間の内観研修所について、吉本伊信は「最終日が内観の深まる一番大事な時期なのに、なぜ一日短くするのだろうか」と言って、疑問視した。

 

その最後の1日の威力をまさに体感した。しかし、それでも実母の顔をはっきり思い出すことはできなかった。

 

そのことが気になって、2013年1月に夫美子さんに、実母のことをリーディングしてもらった。まず、父と実母の喧嘩は、私の勘違いで、私の行動が原因ではないとのことだった。また、実母には、私が強く望めば会えると言われた。

 

その後、特に強く望んだ訳ではないが、やはり実母のことは頭から離れなかった。そのためかどうか原因は定かでないが、昨年、家を出た後の実母の軌跡を知ることができた。

 

私の父は2013年の12月に亡くなったが、その相続の関係で、去年の9月に生き別れていた2番目の妹から連絡が来たのだ。長女の妹も、最初は実母の実家に引き取られた。だが、途中から父が彼女を引き取り、私と一緒に育てた。

 

けれども、次女の妹は、ついに父に引き取られることがなかった。なので、彼女とはずっと離れ離れで、行方不明のままだった。

 

彼女の名前だけは覚えていた。そして、その名が書かれた手紙で、実母が精神病院で亡くなったことを知らされた。しかも、その病院は私が今住んでいるところの意外と近くにあった。なので、手紙を読んだ時は、ひどく心が重くなった。

 

しかし、去年の12月に彼女に直接会って話を聞くことができた。彼女は結婚して今は3人の子供と一緒に暮らしている。旦那は大手自動車メーカーの工場長として単身赴任中だ。彼女は看護婦で、しかも婦長クラスということで、子供も全員医療関係に進んでいる。

 

彼女の長男から、50年ぶりに妹と会った感想を聞かれた。私は「幸せそうなので安心した」と答えた。これはまさに本音だった。実母もそうだが、彼女のこともずっと気になっていた。

 

不幸だったら居たたまれない気持ちになっただろう。だが、幸せに暮らし、長男、長女、次女とも立派に育ったのを見て、本当に心が救われた。

 

彼女によると、精神病院で亡くなったとはいえ、実母は最後にそこで知り合った人と結婚している。当時、精神病院に1回入ると、なかなか出れない状況だった。なので、病院内で手伝いをしながら暮らしていたという。

 

思ったほど不幸ではなかったという話を聞いて、気持ちがだいぶ楽になった。

 

彼女に頼んで、実母の写真をもらった.。だが、薬のせいで少し太っていて、自分の記憶するイメージとは違っていた。しかし、今年の3月に、奇跡が起きた。何と、父の実家から、昔の父と実母の写真が数点出てきたのだ。その中には、結婚式の写真もあった。

 

今度の実母の姿は、自分のイメージ通りだった。というより、もっと幸せそうな顔がそこにあった。その中から幾つか写真を彼女に送ったが、すごく喜んでくれた。

 

話が脇道にそれてしまったので、話題を内観に戻す。

 

8日目の朝は、長島所長の司会で、同じ時期に参加した2人とともに座談会を行った。その時に内観の感想を聞かれたが、私は「良心に恥じない生き方をして、死に際に後悔しないためにするのが内観だと思う」と答えた。

 

これは長島所長が私のために選んでくれたテープを聴いて感じたことだ。

 

魔女はいつも死に際を良くすることが大切だという。死に際は、良心に恥じない生き方をしなければ、後悔が残るので、決して良くすることはできない。しかし、人間は無自覚的に過ちを犯してしまう。

 

なので私は、「人間は無意識的に人を傷つけてしまうことがよくある。だからこそ、内観して出来事をいろんな角度から捉えることで過ちを極力防ぎ、後悔の種を減らしていかなければならない」と述べた。今でも、この見解は変わらない。

 

内観の神髄は、「迷惑をかけたこと」にある。なぜなら内観では、迷惑をかけたことだけを調べ、迷惑をかけられたことは一切調べないからだ。つまり、相手がどうであれ、自分はどうであったかということを調べるのが内観だ。

 

この「自分はどうであったか」を見るための鏡が良心だ。だから内観では、あくまで自分の良心に照らして、自分の態度や行動を客観的かつストイックに見ていく。

 

私は、この研修中に長島所長から「一念に遇う」という言葉を何度か聞いた。だが、一念の意味がわからなかった。しかし、今なら一念は真我だと言い切れる。なぜなら、真我とは良心に他ならないからだ。

 

内観で良心に照らして、自分がどういう人間であったかを調べていけば、自己の本当の姿(親鸞のいう悪人の姿)が明らかになる。それを良心に恥じない生き方に修正していけば、どんどん真我に近づいていく。その結果、最終的に真我に遇うのは道理だ。

 

けれども、我々は現実には迷惑をかけるだけでなく、迷惑をかけられる存在でもある。私のように被害者意識のカルマを持つ人間は、とても「迷惑をかけたことだけ」を調べ続けることに耐えられない。

 

そんな私のような人間のために、原先生は止観シートをつくってくれた。次回は、止観について書く。

 

しかし、これについて書くと、今回以上に私の醜さを晒すことになる。だから、正直書きたくない。今まで、心の浄化について書くと何度も記事で告知しながら、なかなか書けなかった。晒す勇気がなかったのだ。しかし、今は絶対に書くと決めている。

 

実は、先月行った内観は、自分の真我に対する内観だった。アドバンスコースの内観は、全て真我に対する内観だ。この場合、今回述べた3項目の観点から、真我に対する自分を見ていく。

 

前回の記事で自信について述べたが、4月の内観で、究極の自信が付く方法を原先生が教えてくれた。それは、自分の真我を信じることだ。もっと言えば、自分は真我から応援してもらえると信じることだ。

 

実際、魔女を見ればわかるように、真我とつながり、そこからどんどん応援を受け取ることができれば、全てがうまくいく。しかし、私は魔女のように真我の応援をもらえる自信がない。

 

なぜ、そこまでの自信がないのか。真我に対する内観シートをやっていて、その理由がわかった。真我に「して返したこと」が全然足りなかった。つまり、真我が喜ぶことをほとんどしてこなかったのだ。

 

では、真我が喜ぶこととは何か。真我のエネルギーは、愛、感謝、喜び、平安だ。だから、そのエネルギーを具現化する行動をすれば真我は喜ぶ。私は、内観と止観の記事が真我を喜ばせ、お返しになると信じている。

 

しかし、もっと本音を言えば、罪滅ぼしだ。内観や止観をすればするほど、自分の醜さが浮彫りになり、それにより人を傷付けたことが見えてくる。だから、その醜さを晒すことで、少しでも罪滅ぼしができれば良いと思っている。

 

今回の記事を読んで、日常内観に取り組む人が一人でも増えれば幸いだ。