なかなか更新できず、とうとう6月22日の夏至(げし)を過ぎてしまった。夏至を境に、地球の波動が1ランク上がった。
 
波動が高くなると、それに合わせるために、体が変調をきたす。私の場合、耳鳴りがひどかった。だいぶ治まってきたが、まだ続いている。
 
だが、高い波動がもたらす事象は、悪いことばかりではない。思ったことが適いやすくなるからだ。
 
高い波動の後押しで、先月の止観(しかん)、それに続く今月の対人関係調和で、大きな成果を得た。長年手放せなかった父に対するわだかまりが、一気に溶けたのだ。
 
その結果、心の浄化が飛躍的に進み、自分自身が新しいステージに入ったことを実感した。事実、夫美子さんからも、オーラがきれいになったと褒められた。
 
そのあたりのことは、次回以降に書く。今回は、心の浄化の第2ステップである止観がテーマだ

止観とは、一般に、仏教の瞑想のことをいう。また仏教は、瞑想のこと
を禅定(ぜんじょう)とも呼ぶ。
 
ところで、瞑想はサンスクリット語 では、dhyāna(ディヤーナ)、バーリ語ではjhāna(ジャーナ)いう。そして「禅」とは、ジャーナを音写した禅那(ゼンナ)を縮めたものだ。
 
また、ディヤーナの内容は、定(じょう)とか、静慮(せいりょ)と漢訳された。そして、「定」とは心を一点に定めること、静慮とは心を静めることを意味する。だから、ディヤーナとは、心が定まって、静まった状態を指す。

この音「禅」と意味「定」を組合わせた「禅定」が、仏教の瞑想の呼び方となった。止観も同じく仏教の瞑想の呼び方だが、「止」がこの禅定に当たる。
 
一方、「観」は智慧(ちえ)に相当し、「止」で定まった不動の心が智慧となって、事物を真理に即して正しく観察するとしている。
 
したがって止観とは、精神を集中して心が静まった状態で、対象をありのままに観察することをいう。だが、問題は、何を止まって観るのかだ。
 
原先生の止観では、自分がどういう人間であったかを、出来事の瞬間に止まって、客観的観る。もっと言うと、その時、自分がどう思ったか、何を感じたかを正直に観ていく。
 
だが、それだけなら、前回述べた内観とほとんど変わらない。では、どこが違うのか。
 
内観では、3項目のうち、特に迷惑をかけたことを重視する。だが、人間は迷惑をかけるだけでなく、迷惑をかけられる存在でもある。しかし、内観では迷惑をかけられたことは扱わない。それを扱うのが止観だ。
 
迷惑をかけられて傷つくと、内観だけではどうしても取り切れない感情的なしこりが残る。実際、原先生には、山に籠ってずっと内観しても、すっきりしない相手がいた。その不調和を解消するために彼女が編み出したのが、原式止観だ。
 
その仕組みを説明する前に、2011年10月に原先生と初めて会った日のことを書く。実は、原先生所には、自分から進んで行ったわけではない。
 
当時は、まだ中丸先生の会にいて、そこでU君と知り合った。彼に「お前は波動が荒いから、ここで浄化しろ」と言われて、強引に連れて行かれたのだ。
 
この時、生まれて初めて内観シートに取り組んだ。しかし、出来事が少ししか思い出せず、うまく書かけなかった。
 
けれども、その後に受けた原先生のエネルギー伝授で、体が熱くなった。遠隔にもかかわらず、エネルギーを体感できた。それで気を良くして、食事会にもその場で申し込んで参加した。
 
U君以外の参加者は、みんな私にとって初顔だった。全員ごく普通の人に見えた。だが、自己紹介の話を聴くうちに、認識が一変した。各自が抱えた壮絶な過去に、ただただ驚くばかりだった。
 
目の前の女性も、多額の借金を背負った話を淡々としてくれた。私も、その時までは、自分の人生は波乱万丈だと思っていた。しかし、彼らと比べれば、私の波乱などかすり傷でしかなかった
 
そして、何より驚いたのが、講師の吉岡さんの話だ。初めて見た時も、彼女はいつものように司会をしていた。そしてその姿は、眩しいほど明るかった。
 
その彼女が、父親から暴力を受けた話をするとは、夢にも思わなかった。私も、父から損害を受けたが、そんな生易しいものではない。しかも、彼女には義理の兄からの虐待もあった。
 
それなのに、何であんなに明るいのか???それが、その時浮かんだ疑問だった。
 
なぜ、こんなことを書くかと言うと、内観と比べて止観がきついからだ。止観には精神的な苦痛が伴う。私が、ここまで心の浄化を続けてこれたのも、彼女の存在が大きい。
 
今は、渋谷先生に見ていただいいているが、その前はシートを持ってよく彼女に相談に行った。父との葛藤をなかなか解消できなかった私は、単刀直入に彼女に質問した。何で父親を許せたのか」と。
 
その時彼女は、笑いながら「だって、許せちゃったんだもん」と答えただけだった。当然、疑問は解けなかったが、目の前に乗り越えた人がいる以上、そこを目指すしかなかった。
 
今なら、彼女の心境がわかる。ここまで来るのに3年8か月かかった。彼女がいなければ、この域には達しなかっただろう。本当に彼女には感謝している。
 
3回のブレークスルーを経て、私はようやく今の境地に辿り着いた。今回は、最初のブレークスルーについて書く。
 
原先生のコースは4か月連続で年2回ある。1か月目は内観で、2か月目は止観、3か月目が対人関係調和だ。ここまでで浄化のステップが終わる。そして4か月目は、希望実現に取り組む。
 
1回目のブレークスルーは、初心者コースの止観の時に来た。止観も内観と同じでシートを書く。
 
まず、止観シートには、取り組む相手を書く。私の場合は父だった。本当は、最初から強い抗がある人を選ぶのは良くない。
 
しかし、当時の私は、まだ2012年の冬至にアセンションが来ると信じていた。だから、心の浄化を急いでいて、いきなり父に取り組んだ。
 
次に、別紙に書き出したその相手との出来事の中から、最も心に引っ掛かるものを1つ選ぶ。そして、その件名を止観シートに書く。
 
残りの出来事は、対人関係調和のシートで扱う。もっとも、対人関係調和のやり方は、止観と同じだ。だから、止観の集積が対人関係調和になる。
 
したがって、取り組む出来事の数は、止観が1つなのに対して対人調和では複数になる。だが、私がこだわっていたのは、父との一連の出来事だ。なので、初めから止観が対人関係調和のような形になってしまった。
 
その出来事とは、株にまつわる事件だ。ギャンブル好きな父は。昔から株取引にも熱心だった。だから、いつも短波ラジオを聴いて、株の値動きをチェックしていた。また、好きなだけあって才能もあった。現に、私が大学生の時には、株で億のお金を稼いでいた。
 
しかし、そのお金は、家の改築に少し使われただけだ。大学を卒業する頃には、全部無くなってしまった。株の信用取引には、レバレッジがかかる。だから、儲かる時も大きいが、損する時も大きかった。
 
しかし、この時はゼロになっただけで、まだ借金はなかった。父は飲食店を営んでいたが、幸い店は順調だった。また、私も商社に就職が決まっていた。
 
だから、この時は、さほど大きな不安はなかった。しかし、これは父との株を巡るトラブルの序章にすぎななかった。
 
事件が起きたのは、1990年8月にイラクがクェートに侵攻した頃だ。父は、イラクがクェートから軍を引くと読んでいた。しかし、私はサダム・フセインは撤退せずに、本気でアメリカと事を構えると見ていた。
 
結果は私の予想通りだったが、そのせいで株価が暴落した。それで、父は信用取引の株を現引きするために、私にお金を無心してきた。
 
当時は、実家から会社に通っていたので、生活費もそれほどかからなかった。だから、預金を降ろして父にお金を貸した。そこまでは、まだ良かった。
 
同じ年の8月に、初めてニュージーランドにスキーに行った。楽しい気分で帰国し、家に戻ると、父が近づいて来た。そして、「大変だ。また、株が下がった」という。
 
それに対して私は、「別に、下がっても、信用取引をしているわけじゃないから平気でしょ」と返した。
 
しかし、父は私にだまって、貸したお金でまた信用取引をしていたのだ。さすがにこの時は、頭に血が上った。そして、口論の末に父に「死ね」という言葉を投げつけた。
 
この言葉は、父にはかなりショックだったようだ。後で姉から聞いたが、店でしばらく放心状態だったらしい。
 
しかし、私の怒りはそれで治まらなかったし、父も株を止めなかった。だからそれ以来、父との関係は、すごくギスギスしたものになった。
 
その後、父とはほとんど口もきかなかったが、それで平穏な状況が訪れたわけではない。ある晩、夜中の3時に父から眠りを覚まされた。いつもの時間に父は店から帰ると、いきなり私を揺り起こしたのだ。
 
父は、また株の現引きのためにお金が必要だという。「もう貸す金はない」と断ると、「銀行から借りるから、名義を貸してくれ」と頼まれた。
 
この時、父は私が貸したお金を半年後に返すことを約束した。また、母にも泣かれたので、しぶしぶ銀行の書類に捺印した。しかし、父の言葉を信用したわけではなかった。
 
案の定、半年後に返済を切り出すと、いろいろ言い訳して返そうとしない。だが、もう引く気はなかった。だから、大ゲンカとなって、最後には父から「出て行け」と言われた。
 
結局、全額ではないが、半分以上お金を取り戻して家を出た。私が33才の時だ。
 
別に、すぐにお金が必要だったわけではない。だが、父に持たせておくと、全部信用取引に使われる。株価が下がった時のリスクを考えると、できるだけ父にお金を保有させたくなかった。
 
また、家を出たのは、いずれ母や姉を引き取って、父と対決する日を予感したからでもある。実際、それは的中したのだが、それについては次回に書く。
 
読者の方も、もうこれ以上こんな話は読みたくないだろう。書いている私も、思い出すのが苦痛だ。
 
では、なぜこんなことを書くかというと、今の私が父の息子で良かった思えているからだ。この後、もっと大きな修羅場があったが、それでも今はそう思えている。全て、止観とその延長である対人関係調和のおかげだ。
 
心の浄化などと抽象的に言っても、恐らく読者の方にはピンと来ないだろう。それを腑に落としてもらうには、私がどう変わっていったのかを具体的に示すしかない。
 
そして、そのためには、ビフォー・アフターのビフォーの部分が欠かせない。そう思って、自分の過去を書いている。とにかく、最初の止観では、ここまでの出来事について取り組んだ。
 
その止観だが、3項目しかない内観と比べて項目が多い。大項目だけでも、イからトまであり、項目によっては、そこからさらに小項目が連なる。
 
だが、大事なのは、イ、ロ、ハの3つだ。ここさえちゃんとできれば、後は自然と流れに乗る。特に最初のイが最も重要だ。シートの成否は、まずはここで決まる。
 
では、イで何を書くのか。それは、その時感じた相手に対する感情だ。具体的には、怒り、悲しみ、イライラ、悔しさ、寂しさなどだ。それを相手に対する悪口や抗議の言葉で表現する。
 
例えば怒りなら、「ふざけんな、バカ野郎」とか、「お前なんか死んでしまえ」と書けばいい。しかしその後に、必ずカッコ付きで(怒り)とか、(イライラ)と書く。
 
このカッコ付けがとても重要だ。これにより、その時の自分の感情を客観的に観れるからだ。
 
これを気が済むまで、ひたすら続ける。過去には、シートのページが足りなくなり、さらに大学ノート2冊分書きまくった猛者もいた。
 
私も、父に対する悪口をドンドン書いていった。当時は父をひどく憎んでいたので、怒りの言葉がスラスラと出てきた。
 
しかし、シートのページが進むにつれて、だんだん同じ言葉ばかりが繰り返し出てくるようになった。そして、さらにそれを超えると、何と、悲しみの感情が出て来た。
 
後で、渋谷先生から、怒りの裏には悲しみがあると教えていただいた。本当にその通りだった。

その悲しみの感情と共に、昔は父が大好きだったことを思い出した。また、その父と喧嘩別れしかできなかった無力感も自分の中から湧き上がってきた。すると、突然目からどっと涙が溢れ出た。
 
全く予期せぬことだったが、私にとってはこれが心の浄化の第一歩だった。これ以来、父への内観でほとんど出なかったお世話になったことが、少しずつ書けるようになった。
 
しかし、心の浄化は、すぐには進まない。玉ねぎの薄皮を剥がすようにしか、心の曇りは晴れていかなのだ。途中、いくつかの紆余曲折があり、次のブレークスルーまでかなり時間がかかった。
 
また当時は、東京の両国にあるKFCホールを借りていた。だから、会場で感情の解放を行うには、シートを使う方法しかなかった。これも、次の段階に行くまでの時間がかかった要因だ。
 
しかし、最近講師になった尾畑さんなどは、当時でも自宅やホテルでキャベツを相手に見立てて切り刻んでいた。また、アイスピックで要らなくなった物を刺したり、足で空き缶を踏みつぶしたり、枕を叩く人もいた。
 
とにかく、体を使って感情を出すことが大事だ。感情はエネルギーだから、細胞レベルにまで浸み込んでいる。その溜まった悪感情を出さないと、病気になったり、悪いものを引き寄せたりする。
 
便秘と同じと考えれば分かりやすい。いざとなったら、浣腸を使ってでも出すだろう。それぐらいの気持ちで、なりふりかまわず体外に出すことが必要だ。
 
しかし、そうは言っても、やはり体裁を気にする人はいる。そんな人でも、今は感情の解放がやりやすくなった。原先生が自前のホールを持ったからだ。
 
そこの2階は解放部屋になっていて、防音壁に囲まれている。だから、多少声を張り上げても外に漏れない。また、照明も消されて、川のせせらぎとか、波の音が流れている。
 
そこで各自が自分の場所を確保して感情を解放する。だが、その光景は傍から見ると異様だ。ある人は、怒りながら大声で誰かをののしっている。しかし、その傍らで、別の人が床にひれ伏して懺悔の涙を流しているからだ。
 
この懺悔の涙は、止観の傷つけた人用シートに取り組むと嫌でも出てくる。だが、今回は傷ついた人用シートについて書いている。なので、その説明は省く。
 
とにかく、止観で1番やっかいなのは、感情が出ないことだ。特に、良い子を演じてきた人ほど、感情が出にくい。
 
尾畑さんは、そういう人の背中をさすりながら、感情の吐出しを手伝っている。彼女自身が感情が出ない苦しみを長年味わってきた。だから、そうやってサポートしているのだ。本当に頭が下がる。
 
だが、私はエネルギーに敏感になってから、解放部屋に長くいられなくなった。負のエネルギーが充満しているからだ。できるだけそれを吸い込みたくないので、怒りのエネルギーを発散したら、さっさと出て行く。
 
しかし、尾畑さんは私よりもネルギーに敏感なはすだ。原先生の生徒として、一緒に学んできたからよくわかる。
 
それで、彼女に「なぜ平気なの」と質問してみた。すると、「役目を果たせるように、守られているのを感じる」と答えてくれた。その言葉を聞いて、泥の中に咲く蓮の花のイメージが浮かんだ。
 
だが、誰もが彼女のような人に恵まれているわけではない。もちろん、解放部屋のような施設が身近ある人は稀だろう。だから最後に、呼吸法を使った吐きだし方を紹介する。
 
負のエネルギーは丹田、つまり第二チャクラのあたりに溜まりやすい。だから、それを吐く息と共に吐き出すのだ。
 
姿勢は立っていても、座っていてもいい。まずは吐き出したい感情を感じながら、体全体で調子を取って深呼吸をする。そして、適当なタイミングで、その感情を吐く息に乗せて一気に排出する。
 
この時、喉の奥を大きく開けて、両手のこぶしを強く握り込む。そして、両肘を絞りつつ、上体を丸めながら、肘の先を腹筋に付ける。こうすると、息を絞り出す形になる。
 
また、吐いている最中は、特に丹田に力を入れて、全部息を吐き切るようにする。こうすると、声を出さなくても、感情を吐き出すことができる。タオルを握り、それを思い切り絞りながら息を吐く方法も効果的だ。上記の方法と併せて、ぜひ試してほしい。
 
今回は、傷ついた人用止観シートのイの項目についてのみ説明した。次回はロとハについて説明する。しかし、相変わらず多忙なので、次の更新は当分先になりそうだ。
 
それで、すぐに止観の概要を知りたい人のために、本を一冊紹介する。野口 嘉則さんの『鏡の法則 人生のどんな問題も解決する魔法のルール』という本だ。
 
魔女のテキストに載っていたので、最初は何気に読んでみた。だが、原式止観と内容が似ているのに驚いた。傷ついた人用止観シートが目指すところは、これを読めばわかるはずだ。
 
ただ、非常に良い本なのだが、1つだけ大事なことが抜けている。それは相手の悪口を書く時は、相手の真我に祈ってからするということだ。
 
イの目的は、相手に邪念を飛ばすことではない。あくまで、自分の感情の解放のためだ。だから、まず相手の真我に「私の感情を開放するために、これから○○さんの悪口を書きます。どうか許してください」と祈る。それから、書き始めなければならない。
 
これをしないと、相手に悪い念が飛び、それが自分に返ってくる。だから、結局自分が害を被る。したがって、相手の真我への祈りは、絶対に欠かさないでほしい。
 
また、止観をする前に内観を済ませておくことも必須だ。そうしないと、負の感情が増幅して、収拾がつかなくなるからだ。
 
内観をすれば、相手の良い部分も見えてくる。だから、負の感情が暴走することは避けられる。内観の方法自体は、前回の記事で詳しく述べた。なので、それを参照してほしい。
 
PS.前回の記事へのコメントをきっかけに、アスペルガーの天才ギタリストさんから、「マネー1 脱清貧」及び「マネー2 使い方」の記事のコメント欄に質問をいただいた。それに対して私が答えたのだが、彼が自分のことを晒してくれたおかげで、かなり本質的なことを伝えることができた。他の読者の方にも、ぜひ2人のやり取りを読んでいただきたい。
 
それから、孔先生の所で知り合ったセラピストのKさん。彼女はかなり負のエネルギーを吸い込んでいる様子だった。このブログを読んでくれているはずなので、今回負のエネルギーの出し方を詳しく書いた。他の読者の方にも、役に立てば幸いだ。