望んだ学科に進めた私は、意外とその方面の勉強が好きだと分かったのですが、だからと言って、大学院に進むほど好きではない、と思っていました。


また、親元に居ると、女性化するための道具などを持ちづらいし、母子家庭で貧乏学生を続けていくのにも疲れていた、というのもあり、卒業したら就職して、都内か周辺で一人暮らししたいと思うようになっていました。


後のブログで書く予定ですが、就職活動で1人で上京し、新宿の飲み屋さんで初めてニューハーフさんや女装さんと話しをしたら、すごく楽しかったので、早く首都圏で1人暮らしして女装もしてみたい、と強く思うようになっていたのもあります。あと、こんな私でも、理解してくれる彼氏が欲しかったし。


母にはやはり自分の性別違和をカミングアウトできずにいましたが、卒業したら就職して首都圏に行きたいことは伝えました。それならそうしたら良いんじゃない、と言ってくれました。大学進学の時に比べると、ずっと表情が穏やかだったのですが、もう巣立ちの時と思ってくれたのか、あるいは、私がカミングアウトしてなくても母はだいたい察していたのかもしれません。


中学時代、両親の離婚をきっかけに一人暮らししていた兄が割と近くに住んでおり、私たちにも時々連絡くれて会っていたので、私も母を完全に1人で置いて行くわけじゃないよね、と自分に言い聞かせていました。


機会があれば書きますが、就職活動の結果、プログラマーやSEとして採用はされず、都内にある会社の総合職として採用内定をもらいました。そして、就職後しばらく社員寮生活でしたが、数年後に新宿に出やすい場所で念願の一人暮らしも始めます。


あと、会社の給料は悪くなかったのですが、就職後はスーツ姿のサラリーマンとして、社内の何でも屋みたいな仕事をさせられ、だんだん仕事が嫌になっていきます。就職以降については、また後日、別なブログで書きたいと思います。