第三の対応があるのは、旧文部省発行の生徒指導の手引き第一集に記されている。この書は昭和56年に発行され、生徒指導上の名著と言われていた。※現在の「生徒指導提要」より良いと筆者は考えている。

 そこで人間関係の型を3つ記している。

 ①権力-支配ー盲従の関係  ②権威ー尊敬ー心腹の関係  ③出会いの関係

 

 ③の出会いの関係で、すでに「対立なし」の生徒指導をうたっている。

 

 当時から、現実の生徒指導は①であり、現在に至っている。

 

 第三の対応として、気づいたことは、とりあえず評価したい。しかし、生徒指導の学習をしていれば新卒で既に理解していたかもしれないのだ。少なくとも数十年は遅れただろう。現在の生徒指導は遅れっぱなしではある。

 

 昭和50年代は全国的に中学校の校内暴力が巻き起こっていた。ちょうど筆者も昭和56年に自身の生徒指導観を試したくて、小学校から中学校へ異動した。そこで、対立しない生徒指導を実践して市内で最も問題のない中学校が実現できた。

 

 生徒との人間関係を最大限重視して、まず遊ぶことから始めた。昼休みに生徒とカラーボールでの野球を毎日やった。1学期間やって関係が出来たので止めたら、生徒に「先生、最近遊んでくれねぇじゃん」と言われたのを記憶している。特に中学校で昼休みに生徒と遊んでいる教師はまずいない。実際に生徒と遊んでいる教師を見たのは他に1人いただけだった。

 

 当時は、小学校では、教師が良く児童と遊んでいた。今は見ないが何をしているのか。関係作りで最も効果的なのは遊ぶことである。

 

 生徒との関係が出来れば、校則はいらないので生徒指導主事をした時に校則を「髪の毛染めない、パーマをかけない、中学生らした」という3つに減らした。本当はゼロにしたかったが、会議で承認されそうもなかったのでゼロは止めた。

 

 「中学生らしさとは何ですか」と聞いてくる親には、「それを、お子さんと話し合うのが大事ですよね」と回答した。中学生らしさなんていう問いに的確に回答できる人は1人もいないことは知っていた。「〇〇らしさ」なんていうのは全て回答不能なのだ。

 

 教師をやっていて教師らしさはないだろうと考えている。当然親をやっていて「親らしさ」なんてないのだ。何故か、教師であり親だからだ。何をやっても親であり、教師なのだ。

 

 変に作らないで、素のままの自分で子どもと向き合うことが大事なだけである。

 

 学校生活の8割以上は生徒と対立したことはなかった。時には毅然とした態度は必要である。ただし、毅然とした態度は対立ではなく「行動の制止」である。

 

 中学に赴任して直ぐ「先生、ご飯が足りません」と生徒が訴えてきた。行って見ると、男子の大きい連中のご飯が山盛りになっていた。「勝手に盛り付けてはダメだから、戻せ」と言うと「1年生の時は、大丈夫だった」と言うのであった。

 

 それを聞いて呆れたが、「良い訳がないだろう。全員が同じ給食費を払っているのだから、当番が均等に盛り付けろ」と言って実行させた。『「食べ物の恨みは恐ろしい」と昔から言われているように暴動の本にもなる。だから、刑務所では全ての盛りつけを計りにかけてやったている。そこまでは言わないが、目分量で均等に盛りつけろ』と指示した。

 

 実際に近所の中学校の荒れた切っ掛けが給食の盛り付けにあったのだ。勝手な事を許したら絶対にダメである。服装や髪型などは勝手で良いことである。これを趣味の範疇と言う。

 

 2つ残した校則には不満があった。どちらも自由だと考えていたし、今もそれは変わらない。夏休み明けの始業式に筆者のクラス(3学年のヤンチャを集めて担任していたクラスの3人の生徒が茶髪で登校してきた。

 

 「参ったなあ、校則に残したから生徒指導主事として注意しないわけにはいかない。どうしようか」と考えて1人ずつ呼んだで「茶髪になっているけれど、もし、それを続けるのであれば入試までやってくれ、そうすればしっかりした根性があるということで敬意を表する。しかし、入試の直前になって戻すような場面だけは絶対に見たくないので、それだけはやめてくれ、入試まで続けられないのであれば早く戻してくれや」という話をした。

 

 1か月も経たないうちに全員が元に戻した。

 

 実を言うと、これは自身の長男で実践済みだった。3年の夏休みに茶髪になったので、単なる1生徒であれば放っておこうと思ったが、生徒会長をしていたのでさすがに放ってはおけないと思って、上記と同じことを話した。心の内はヒヤヒヤものだった。せがれには「始業式までに戻さなければ、入試までやれ」と話したら戻して登校してくれたので、内心ホッとした。真剣な指導はリスクを背負う必要もあると考えている。

 

 3年間の生徒指導主事をしていて、たった1回だけ、校内巡視をした。検閲みたいなことはしたくなかったのでやらなかった。そこで、屋上の階段の踊り場で3年生の男女が抱き合っている所に出くわした。2人に声をかけて別室までの間に対応を考えた。「校長にも親にも報告しない」ということで、本人たちに「どうする?親に言う?」「言わないで」と言うことは分かっていた。親や校長に話しても、ただただ騒ぐだけなので本人たちのためにはならない。ここは、話さないよということで恩に着せておく方が良いと考えた。その後の大事な話をきっちりとした上で親には話さないことにした。

 

 2人は筆者に対して完璧に良い子になった。無事卒業して同じ高校に進学したが、途中で男の方が振られたという話を聞いた。遅刻ばかりしていた男子は、高校3年間無遅刻だったことを付け加えたい。

 

 事実を記すと、自慢話になってしまうのが抵抗があるが、具体的実践事実が指導の役に立つものと考えている。

 

 ヤンチャな連中と真摯に向き合っていれば、必ずこちらの意図は伝わる。卒業式で全員がノーマルな制服を着てきたので聞いたら、「1年間先生に散々迷惑をかけたから、今回くらい言うことを聞こう」と皆で話し合たということだった。

 

 彼らが何で迷惑をかけたと思ったか。校内での喫煙を何度も捕まえて「2度と吸うなよ」「はい、すいません」で開放していたからだ。

 1時間説教して喫煙をやめるのであれば、いくらでもやるが、絶対にやめないと確信していたからだ。捕まった時「2度と吸うな」と言われて「吸います」と応えるアホは1人もいない。必ず「はい、すいません」と応える。ここで騙されてやることが生徒指導である。大人でも止められず禁煙外来などに依存しているのである。筆者も止められないでいた。

 

 次に捕まえた時、「この前、吸わないと言っただろう」なんて言うのは生徒指導を知らない証拠なのだ。これは陳列型と言って、過去の住んでいることを持ち出して言うマズいやり方の典型だからだ。※比較型、矛盾型、陳列型はダメ。

 

 余計な説教は一切しないで、直ぐに開放して、また捕まえるという繰り返しであった。3年制の常習的喫煙者の16名をタバコの銘柄と共に把握していた。

 

 上記は、対立しない生徒指導の45年前の実践である。