若い頃、人生は死ぬまで生きれば良いと言ったら、生意気言うんじゃないと怒られたことが忘れられない。

 

 生意気言っているのは、お前の方だと言いたかったけれど、口には出せなかった。

 

 この「生意気言うな」とか「屁理屈を言うな」というのは、心ない大人の常とう手段だ。反論ができなくなると必ず、これらの言葉が出てくる。

 

 そもそも人間にあるのは年の差だけだ。年寄りが偉いという理屈は全くない。むしろ年寄りはお荷物なのだ。このことを我々年寄りは自覚する必要がある。

 

 最悪なのが、孫に殺される年寄りだ。彼らは自分がいっぱしの教育者だと勘違いしている。その理由が、子供を立派に育てたという自負心だ。しかし、子供は育ったのだ。育てられたのではない。

 

 

 草木でさえ、人間ができることは、水をやったり肥料をやったりするのがせいぜいなのだ。それを草木が自らの根で吸収して育っていく。草木自身が育っていくのだ。

 

 人間の子供は尚のこと、自ら育つ力を持っている。その点、樹木希林さんは、娘さんに、食べさせるということをキチンとしたという。大事なことを外さない子育てだったようだ。

 

 ある専門家は「子供を育てるというのは傲りで、子供は育つのだ」と言っている。

 

 「誰が言ったか」で耳を傾ける人は、権威主義の人だ。このような人は、子供や庶民の言うことには耳を貸さない。

 

 教師は、「何を言ったか」で耳を傾ける必要がある。主張の内容で判断しないと判断ミスに繋がり、子供から信頼を得られない。

 

 ある地位のある人と話をして、「眼力が凄い」なんて言っているアホがいたが、地位にひれ伏して「眼力」と言っていたのが良く分かった。

 

 意外に、地位や名声で判断している人は少なくない。教師が、これをしたら子供の話に耳を貸さなくなってしまうため最悪の結果になってしまう。

 

 

 年上を蔑ろにするような態度は良くないが、崇める必要は全くない。阿弥陀様の下、人は平等なのだ。法然・親鸞は、素晴らしい。当時、すでに平等思想を説いていた。歎異抄の購読を薦めたい。