清風高校では日ごろから訓示などで「カンニングは卑怯者のすること」と指導されていて、男子生徒はカンニングが見つかった後、数人の教師から約4時間にわたって事情を聴かれ、叱責を受ける中で、「カンニングがなぜ悪いことか」と問いかけられ、「ずるいことをした」と回答しました。 これに対して、教師のうちの一人から、それにとどまらない卑怯なことであり、卑怯者がやることだと言われ、男子生徒は自身について「卑怯者です」と発言しました。 遺書にも「死ぬという恐怖よりも、このまま周りから卑怯者と思われながら生きていく方が怖くなってきました」と書かれていました。

 

 自死するのも弱すぎるけれど、2つの点で教師が決定的に悪いです。

 

 1つは卑怯な行為はあっても卑怯者はいないという認識の無さです。

 

 もう1つは、これが最も悪いのですが、カンニングを許したことです。テスト監督をしないでよそ見でもしていたのでしょう。カンニングはされた方が悪いのです。そもそもテスト監督はカンニングの防止が第一なのです。しっかりと見て目を離さないようにして机間巡視でもしていればカンニングはできません。

 

 日頃から本ブログで訴えているのは、立派な人間はいないと同時にダメな人間もいないということです。立派な行為やダメな行為はあります。

 この区別が素人の親についていないのは仕方がないでしょう。しかし、プロであるはずの教師についていないのは問題です。

 

 当然「卑怯者」という人間は存在しないのです。卑怯な行為があるだけです。

 

 大事なのは、この区別を教師はキチンとつけて、日ごろから子供に関わらなければならないのです。長々とした説教は必要ありません。大事なことを教えるのが教師の役目です。

 

 1つの行為を人間全体に広げてレッテルを張ってはいけないのです。しかしなぜか、レッテル張りは無くなりません。良い子、悪い子、普通の子などという番組がありましたが、お笑いのレベルとして認識する必要があります。

 一番大事なのは命です。子供の死に学校が関わっては話になりません。これは教師による典型的ないじめです。

 

 子供を悪者にしない対応がプロの指導です。

 

 カンニングくらいで、4時間も説教・説諭するのは生徒指導を知らない証拠です。でも意外にこのようなやり方は多いのではないでしょうか。筆者の体験でも喫煙した中学生に1時間以上の注意・叱責は当たり前でした。

 

 筆者であれば、「カンニングは2度としないように」と話して終わりです。何故か? カンニングが見つかった瞬間に「しまった」と本人は感じています。話して済むようなら警察は必要ありません。親と教師がいれば十分です。

 

 喫煙でもカンニングでも「2度とするな」と言われて「まだやります」と応える生徒はいません。「はい、しません」と応えます。そうでないと許して貰えないことくらいは理解しています。

 

 そこで、教師は騙されてやればいいのです。まして喫煙などは簡単に止められるものではないのです。200%またやると信じていました。長時間、説教して止められるのであれば、喫煙外来は必要ありません。

 

 朝から晩まで職員室に座らせて注意・叱責、説教・説諭を続けていた光景を目撃したことがあります。そのなかで「先生は、お前のことを考えているから話しているのだ」というセリフが忘れられません。「生徒の事を考えているのであれば、早く終わりにしてやれよ」と思うだけで、新参者の筆者には介入できませんでした。

 

 どういうわけか、長々と注意・叱責、説教・説諭をするのが良いとでも思い込んでいるようです。これらは全てが逆効果なのです。

 

 カンニングについては、先ず絶対にさせないように配慮しました。テスト監督なのに採点などをして見ていない教師は多いのです。しっかりと眼を光らせて机間巡視でもしていれば、カンニングは防止できると確信しています。テスト監督はカンニングの防止が最重要のはずです。それでもカンニングをしたら、よくやったなと感心でもしていればいいのです。そのくらいの心のゆとりは大事です。

 

 筆者は小学生でもテストをする時は、机を離しました。小学生は簡単に隣を見たりするので「隣を見てはダメだよ」とその都度注意しました。

 

 社会を生きていく上で教師のこのようないじめにも耐えていけるくらいの逞しさは必要かもしれません。簡単に自死し過ぎです。

 

 ※清風高校の先生に言わせれば、筆者も卑怯者です。何故か、学生時代さんざんカンニングをしたからです。万引きも1回しました。これらの体験が教師になって、生徒との関わりに活かせました。

 教師をしていて、私より悪いと思った子供は、2点において1人もいませんでした。1つが汚れで、もう1つが悪知恵です。ただ、この2つは社会生活をしていく上では必要なものです。したがって、筆者より人間として上なのが子供なのです。

 適度に「汚れ」と「悪知恵」を身につければ、自死したり、不登校になったりすることもありません。