教師がやることは校則を作って、それを守らせることではない。そんなものは無くても生徒を導いていけるのがプロの教師と言える。

 校則を守らせようとするから生徒の自由を奪うことになってしまう。服装も髪型も趣味の範疇である。ここは自由主義の国である。

 法律や条例を守れば十分なのだ。自分の好みを他人に押し付けるものではない。これは教師になった時から守るようにしてきた。

 

 生まれて今まで牛乳は1本も飲んだことはない。当然、子どもにも「飲め」と言ったことはない。バランスよい栄養が大事だと言うことを真に受けて、それをやり出す。給食の無理強いが、どれだけ子どもを苦しめるか分かっていない。

 

 アメリカで、「子供に好きなものを食べさせて栄養が偏るか」という実験をした。1~2週間では必ず栄養は偏るが、1~2か月では全く栄養は偏らないという結果になった。戦後の食糧難の時代ではない現在は好きな物が食べられる。

 

 ある年の暮れに大好きなマグロの刺身を見ると「ゲッ」が出そうになった。胃がんかな?と心配になったが、しばらくしたら又元のようにの食べられるようになった。食べ過ぎて、身体が受け付けなかっただけだった。

 

 筆者は、この実験を信じてやってきた。自分自身も好き嫌いが人一倍あるが、今まで至って健康である。嫌いなものは身体が要求していないと捉えている。だから、牛乳は必要ないのだ。

 

 そもそも校則などというものにはエビデンスはない。何の裏付けもないのである。筆者が高校受験の時、男子は丸刈りという決まりの高校があったので、死んでも行きたくないと本気で考えて必死で勉強した覚えがある。未だに高校野球の丸刈りには違和感しかない。古い連中の好みでしかない。

 

 思春期はボディイメージと言って、先ず自身の見た目から気にするようになる。毎日寝押しをして登校した覚えがある。成長するにつれて内面に向かうようになっていく。いつまでも外見だけを気にしている人は心の成長が思春期で止まっていると言える。

 

 よく「生徒理解が大事」と教育で言われるが、これがエビデンスに基づいた指導に繋がっていく。

 

 中学2年生の林間学校で集合をかけて、直ぐに並ばなかった生徒に対して、文句を言っている若い教師に「先生、ここは自衛隊ではないよ。訓練もしていないのに号令1つですぐ整列することを期待するのはまずいでしょう。」と話したら分かったようだった。

 

 「兵は神速を貴ぶ」という諺があるが、兵隊は迅速に動けるように訓練していることを忘れてはならない。

 

 この諺は小学校3年生を担任した時、保護者から教えられた。2学期末にやったテストを3学期の評価になっていたので、3学期の初めに返したら、「兵は神速を貴ぶ」の例えのあるがごとく、早く返してもらわないと子供への対応が遅れてしまうから困るというものであった。

 

 この手紙をもらって、ちょっと例えが違うかな?と思っただけだった。以前に、この親から「宿題を毎日出して」という要求があったので、「何で、そうして欲しいのですか」と尋ねたら「学習習慣がつくから」と言うので、「お母さん、習慣とはどういうものか、ご存じですか?習慣化が図れたという状態は、それをしなかった時に身体に違和感がある状態です。学習習慣がつくということは、勉強しなかった時に不安感があります。不安感を解消するためにスムーズに勉強に取り組みます。しかし、9割方の子どもは勉強しなくても不安感がありません。したがって、ほとんどの子どもには学習習慣はつきません」と話して受け入れなかったことを根に持っての仕返しと分かりました。こんな親の言いなりになっていたら教育は歪むだけである。

 

 なんの根拠もないことを子どもに押し付け過ぎる。自分意のままにするのが教育ではない。それはプーチンでしかない。口だけで子どもの人格を尊重すると言っても実際に尊重しなければ意味はない。

 

 最後の小学校3年生の担任で、給食を食べながら1人1人の顔をしみじみとみていて、2つ点で彼らの方が筆者より上だとはっきりと思った。1つが「汚れがない」ことで、2つ目が「悪知恵がない」ことだった。人間としては彼らの方が上なのだ。

 ただ、汚れと悪知恵は社会生活をしていく上では必要なものなのである。ここが大人と子どもの違いだと思った。