昭和56年、全国的に校内暴力が吹き荒れている中で、生徒に殴られるのは教師の対応が悪いからという自身の仮説に基づいて、中学に異動した。

 異動した中学は荒れているわけではなかったが、新任式と始業式で列の後方から、教師と生徒の罵声が飛び交うような状態であった。

 一緒に異動した校長に生徒指導観を話したら「俺のと違う」とはっきりと言われた。しかし、校長が間違っていると考えていたので自分のやり方を変える気はなかった。筆者の生徒指導観は、簡単に言えば「生徒との人間関係を確立して指導する」というものであった。この考え方は、未だに変わっていないし、間違いないと確信している。

 

 2年生を担任して、生徒との人間関係作りから始めた。そのため昼休みに生徒と校庭で毎日遊んだ。主にカラーボールの野球であった。2学期になって関係作りができたと考えたから、遊ぶのを止めたら「先生、最近遊んでくれねぇじゃん」と生徒に言われ、中学生でも遊んでもらいたいのだと認識した。

 

 こういうやり方をしている筆者に対して先輩の1年の時の担任が「悪い奴は潰さなければダメだ」と言って、わざわざその生徒を筆者のところへ連れてきて、「〇〇さんのやり方は甘い」と言わんばかりに、これ見よがしに生徒を馬事雑言を浴びせた。

 

 1年の時の担任はクラスが掌握できていないのにも拘らず、生徒を潰すことに真剣なのだ。心の中で呆れたが、新参者で年下なので、その時は黙っていた。しかし、彼に従うつもりは毛頭なかった。この時は、職員会議で靴下のワンポイントは是か非かを真剣に議論していて、呆れたのを覚えている。その3年後には校則は2つに減らした。

 

 「非行は芽のうちに刈る」と言われるが、全くの勘違いで、「芽が出たら大輪の花にならないように咲かせる」というのが持論だ。芽を摘めば摘むほど固い芽になっていくだけである。それよりは出た芽を可愛がって大きくしないことが現実的なのである。

 

 このやり方か功を奏して、この中学では問題行動が数年後には無くなった。そして、「お前の生徒指導とは違う」と言った校長が4年後に3~4回「生徒指導は、お前の好きにやっていい」と言って異動して行った。※本当は、もう一つ「もう少し怒らないようにしろ」とも言われた。校長が朝会で「生徒指導に手を抜かないように」と言った瞬間に手が挙がっていた。手を抜いていないと思っていたら出てこない発言なのだ。

 

 日々の学校生活を生徒と共に楽しむことが大事なのである。生徒とは仲良くしたが管理職とは時に闘った。

 

 1年生の剃りが入っている生徒を職員室に正座させて文句を言っているのを見て「あいつは、3年生までに立派になるぜ」と同僚と話をしていたら、3年の担任は筆者だったということもあった。立派になった生徒の親と喧嘩したら、よくやったと前担任に褒められた。4年目の年に初めて生徒指導主事になった。そして、校則を2つに減らした。その後、市内で最も落ち着いた中学と言われた。