大工さんに家を建てることを頼んで、「こういう家」とか「ああいう家」と注文を付けるけれど、建て方に口出しする人はいません。

 ここにアマとプロの違いがはっきりと見て取れます。家の建て方を客は知りません。だから、口を出さないのです。

 

 ところが学校教育に対しては全く違うのです。やたらと「ああしろ」「こうしろ」と親は口を出してきます。ただ、ここで注意しなければならないのは、心ある親は何も言わないで、余程のことがない限り学校に任せます。いずれにしろプロと認めていない証拠でもあるのです。教師は親と違って教育のプロであるということを見せることなのです。そうなれば、やたらなことは言わなくなるのが人間です。

 ということは、やたら口出しをする親は心ない親と言っていいでしょう。そのような親の言うことを聞き入れてきたつけが不登校の増加なのです。

 

 親の話を聞くことは大事です。当然子どもの話も聞くことは大事です。しかし、「話を聞くこと」と「話を聞き入れる」ことは別です。教師は内容を取捨選択していかなければなりません。それをできるのがプロなのです。

 

 最も多い話は「宿題の要求」です。大体の教師がこの要求に負けてしまいます。あるいは「教師は宿題を出すもの」と思い込んでいるのです。前回で示したように宿題をしないことは悪いことではありません。真剣になることではないのです。プロには教育的識見は必要です。これは必要条件でしかありません。同時に実行力が必要で、これが十分条件なのです。

 

 「子どもの個性を尊重する」というのは大事な意識です。しかし、いくら意識を持っても実行はできません。頭に来たり、イライラしたりしたときに憂さ晴らしで怒ってしまっては「尊重するということ」が出来ているとは言えません。これではプロではありません。

 

 遠くで笑っている生徒を見て、自分の事を笑っていると勘違いして暴力をふるって怪我をさせたという事件もありました。

 

 「勉強しろ」と言ったら、勉強したのであれば言えばいいのです。「勉強しろ」と言ったら、反抗的態度になったとしたら、効果がないのだから止めるべきなのです。これがなかなかできないようです。その場合はプロではありません。プロは自分の思いには執着しません。子どもの思いを実現することを選びます。