我々ホモサピエンスは、言葉によってネアンデルタール人を征服して地球上の覇者になったとサピエンス全史に記されている。ネアンデルタール人の言葉より複雑で様々なことを伝えられ、最も役立ったのが協力・連帯の違いであったようだ。

 

 サピエンス全史では「虚構」によって、地球上を席巻したと記されている。「虚構」という言葉を知らなかったので、辞書を引いたら「作り話」と記されていた。虚構の代表が資本主義と宗教のようだ。「なるほど」と納得ができた。

 

 ここからが本論。

 複雑な言葉を身につけたせいか、難しく考えたり、難しい事が好きだったり、体質的に受け入れるものを持っているのかも知れない。

 なぜか、周りを見渡して、簡単にしようとか、簡単なことをやろうとする傾向が見受けられないからだ。

 

 教育のブログなので、教育に特化して考えていきたい。まず、言えるのは「不登校」である。特に不登校の発生について簡単に理解しようとしていない。

 特に不登校の防止に関しては、いたって簡単なの全くと言っていいほど注目しようとしていない。

 

 子どもが何故学校に行かなくなるか? 簡単に考えれば、「行くのが嫌になった」からである。何で嫌になるか。嫌なことがあるからだ。嫌なこととは、一体何か?と考えていく。

 昔から、授業が良いと思っている子供はいない。多くの子どもに好かれるのは体育くらいである。「学校には勉強をしに行くんだ」くらいの意識は誰もが持っているから、基本的に授業では嫌になることはないのである。

 

 では、何が本で嫌になるのか。人間関係以外には考えられないのだ。それも教師との人間関係である。子どものとって教師という人間の重みは大きい。したがって、教師との関係が良好であれば、学校が嫌になることはない。

 

 教師の注意・叱責という現実は憂さ晴らしの行為で子どもは傷つきひ弱になっていく。その延長線上に不登校があるのだ。

 

 では、どうすれば不登校が防止できるか。簡単である。教師が憂さ晴らしを止めればよいだけなのだ。大量な宿題を出して、やってこない子供に対して注意・叱責の憂さ晴らしである。そもそも宿題を出すほど成績がアップすると勘違いしている親や教師は少なくないようだ。

 

 勘違いしている人ほど、変に自信に満ちているから始末が悪い。「宿題をしてこない子どもは、どうしようもない」くらいに思っているから、言いたい放題の馬事雑言まで浴びせることもある。こんなことが増えるほど、学校に行くのが嫌になるのは当然である。

 嫌にならない方が可笑しいとも言える。

 

 人間なんて、大して複雑な者でもないのである。むしろ単純と言える。したがって、単純化して考えて、それを実行していく方が成果に繋がる。これは、実際に経験して得た結果だ。

 

 好きにさせなくてもいい。嫌にさせなければ。これも簡単なことだ。嫌にさせないためには文句を言わなければ良い。注意・叱 責という文句で憂さ晴らしをしなければ良い。これを実行するだけで、不登校の発生は、ほとんどなくなると言える。

 ほとんどと言うのは、精神疾患が基になる不登校は全く別である。

 

 良いと悪い、好きと嫌い、右と左、白と黒、という二者択一的思考は、問題発生の本にもなる。

 現実の社会では、その中間が大部分なのだ。

 

 特に学校教育においては、良くも悪くもないという物事への対応が、不登校に大きく関わってくる。

 

 宿題をしないのは悪いことではなく、良くないことなのだ。好き嫌いがあるのは、良いことではなくても悪いことでもない。

 

 特に学校教育において良くも悪くもないことに対する対応が、その後の成果を大きく左右する。

 

 実際例、小学校2年生を担任した時、給食を全く食べない男子児童がいた。毎日毎日全く何も食べないのだ。筆者は好き嫌いが多いことに自信を持っていたので、その子に「食べなさい」と一切言わなかった。ただ、やたら泣き虫なので「痛くもないのに泣くな」という注意はした。

 この児童は何故泣き虫になっていたか? 「先生、〇〇ちゃんは1年生の時に毎日残されて給させられていたんだよ」と周りの女の子が行ってきた。

 ここで大事なのは、「1年間も毎日食べさせようとしてきたのに全く食べるようになっていなかった」ということである。むしろ泣き虫になったという負の成果があったのである。

 何も言わず放っておいて、1回だけ「家で何を食べているの」と聞いたら「ご飯を食べている」というので、「1食くらい抜いても死にはしない」と考えて放っておいた。

 2学期になったら、全く泣かなくなって元気に飛び回るようになった。3学期には、食パンの半分を食べていた。

 

 親には、「先生のおかげで元気になった」と感謝されたが「私は何もしていません」と話していた。

 これが新任の時の体験であり、それから楽をするようになってしまった。

 

 楽をしていても周りに引けを取ることは全くなかったという自慢話の典型。