プロとアマの違い
プロとアマの決定的な違いは、プロはアマができないことができるということです。
簡単に言うとプロの方がアマより上手いのです。プロの上手さを目の当たりにするから、アマは口出しをしないのです。
プロ〇〇の選手と言えば、どの道のプロもアマよりは上手いというのが視覚的に確認できます。
視覚的には確認が難しい将棋や囲碁でも対戦してみれば、その強さに圧倒されます。
プロとの違いを見せつけられて、アマは口を閉じます。
プロとアマの違いがない教育界
ところが、教育に関してはプロとアマの違いがはっきりしていません。ということは、プロがいないとも言えそうです。
母親が14歳の娘に刺殺されるという事件が起きました。
過去には、祖父母でも孫に殺されるという事件も起きています。
教師も殺されはしませんが、生徒に殴られるという校内暴力が全国を席巻しました。
親が子供に教師が生徒にやられるという状況に対して、多くは「何と悪い子供や生徒なのだ」と思いがちです。しかし、実際は大分違うのです。
これらの大本は、親や祖父母、教師が事件の種を蒔いているからなのです。種を蒔かなければ、このような事件は絶対に起きません。子供を犯罪者にしてしまったのは親や教師なのです。
そして、親や教師は全ての人が「子供を良くしよう」と思ってことなのです。「良くしよう、良くしよう」とひたすら思って、一生懸命に注意・叱責、説教・説諭をしています。
子供の生活行動を見ていると意に反しているのでムッとしたり、イライラしたりしてきます。そこで注意が始まります。9割方の注意はここから始まっています。
このレベルの注意でスッキリするのは親や教師だけです。とりあえず自身のイライラの発散にはなるからです。自身の発散のために行っていることが子供のためになるはずがありません。
このような注意をすればするほど子供の心は離れていきます。世の中の注意・叱責の9割方は、このレベルで、子供の反発を招くだけになっています。
以上はアマチュアのレベルです。申し添えますが、親は教育のアマですから、これでもいいのです。親に、これ以上のことを求める気はありません。
アマの教育的な関りは、多くが子供の足を引っ張っているのが実情です。自分が成長する過程でいろいろと言われたり、されたりしてきたことを、そのまま受け継いでやっているだけなのです。だから多くの人が注意さえすれば子供は良くなると思い込んでいます。したがって、一般的には一生懸命にやるほど結果はマイナスにしかなりません。これを努力逆効果の法則と言います。
私も教師に成りたての頃は、注意すれば良いと思い込んでいました。ただ、元々注意するのは好きではなかったため多くはしていませんでした。
32歳で、初めて教育相談を学んだときに、正に目から鱗でした。
そこには、子供の発達の理解から始まり、注意・叱責の現状、効果的な注意の仕方、効果的な話の聞き方、等々と様々な専門的な学習内容がありました。
学習して意識のレベルで理解しても、身に付いたとは言えません。習字の手本を見てどうに書けばいいかは直ぐ分かります。しかし、絶対に手本のような字は書けません。そのためには練習をして身につけるという努力が必要です。
プロは皆努力をしています。そして、アマとの差がつきます。それを見たアマは口を閉じます。
教育では教育的識見や対応に関して、教師は努力していると言えるでしょうか。残念ながら、努力しているようには見えません。ここが決定的に問題なのです。プロだと思っていれば親は、やたら口出しはして来ません。
昔から専門家の間では「注意・叱責の9割以上は、やっている人の欲求不満の発散でしかない」と言われていました。
「子供に寄り添って」なんて誰でも言えます。
共感的理解と言われますが、「共感的理解をして下さい」とも誰でも言えます。アマのやり取りは、このレベルが多いのです。
「自主性が無ければ育てて下さい」と助言した指導主事の発言が忘れられません。「こんなことは誰でも言えるのに」と思ったものです。これもアマのレベルです。
その先の具体的レベルの助言が大事なのです。
子供が暗い顔をして帰宅すると「どうしたの?」「何かあったの?」という言葉かけをするのがアマのレベルで普通です。プロのレベルは気持ちに対して「何か、暗い感じだね」と言葉をかけます。
気分が沈んでいる時、話したくないので質問は答える義務が生じて負担なのです。それに対して気持ちに焦点を当てた言葉かけは「分かってもらえてる」という思いになり話したくもなります。
子供の行動を見て、イラついたりムカついたりした時、それを抑えて注意できればプロのレベルに近づきます。そして「今、ここでのこと」だけについて注意をします。今、ここでのことだけとは、例えば喫煙をした中学生に対して、「法律で禁じられているし、身体にも悪いからやめなさい」と言っても、「みっともない」「家(学校)の恥」「世間体が悪い」などという関係のない言葉入れないことが大事です。
ただし、悪い事をしない限り注意は必要がないという理解が肝心です。
注意・叱責の三原則
比較型‥比較して注意しない
矛盾型‥注意した内容が、今と過去が矛盾しない
陳列型‥過去のことを並べない
注意に関しては少なくとも、これらのことを身につけてプロと言えます。自分の思いが実現できないといってイライラしているようではプロではありません。
アマの延長戦上に子供を犯罪者に仕上げてしまう狂育があるのです。多くの親は勝手に言いたい放題を子供にしていますが、限度は越えていません。そのため、何とが反発や反抗するくらいで済んでいるのです。
褒められたり認められたりされて怒る人間は1人いません。けなされれば反発して反抗に繋がって行きます。けなすのはゼロに越したことはありませんが、多くなければ悪くても多少心を病む程度で済みます。
ここに記されていることは、読んだだけでは絶対に身に付きません。身につける練習をして下さい。人間が身につけていることは全てが練習(努力)の成果なのです。
不登校児の家庭内暴力は、親に虐げられた結果です。休んでするだけで心が休まらないのでは不登校は改善しません。過去には家庭内暴力に困った親が息子を殺すという悲劇もありました。親が追いつめておいて最後は死へ追いつめてしまうという勝手さです。
勝手が過ぎなければ大丈夫です。