今日14歳の中学生の女子が母親を刺して死亡させたというニュースが報道された。

 

 大変な悲劇である。しかし、この悲劇は十分に防げた。母親が生前、娘について反抗期だと話している映像が流れた。

 

 思春期になる自己主張が増える。これを多くの大人は反抗と捉える。ここに大きな誤りがある。

 

 「一方では反抗期がないのは問題だ」とも言われる。言わせておけば、こうも勝手な言い草をするのかと呆れかえる。

 

 反抗期がないのは明らかに順調に成長していないと言えるので問題である。

 

 ただ、反抗期になっても反抗するとは限らないということを知るべきである。実際に筆者は3人の息子から、反抗されたことは無い。では3人の息子は反抗期がなかったのか。普通以上に反抗する力を持っていた。母親は3男に反撃されている。

 

 小遣いをやって、怒り出すバカはいない。「よく勉強してるな」と言って怒り出すバカもいない。

 

 今日の悲劇を聞いた瞬間に、よほど母親にいたぶられたのだろうと察することができた。

 

 追いつめられた人間のとる行動は、次の3通りである。①逃げる、②反撃する、③自死する。

 

 14歳の少女は、①家出するか、②反抗するか、③自殺するかの3通りの、どれを選択するかに迫られたと言える。

 

 親にイジメられた子供の多くは反抗をする。そして大部分が口での犯行である。

 

 親のいじめがエスカレートすると家出をするか、家庭内暴力をするか、いずれかが多くなる。多くの家庭では、そこまで子供を追いつめることは無い。

 

 残念ながら、今回は最悪の反抗になってしまった。見方を変えれば、教育の負の成果と言える。

 

 ただ、親自身は全く気づきもしないで、「勉強しなさい」とか「きちんとしなさい」など、自分では正しいことを言っているのだから間違いはないと思い込んでいたのである。

 

 昔から「親の意見と、なすびの花は、千に1つの嘘もない」と言われている。これは全く間違えていない。親の意見は間違いではないのである。

 

 ここで多くの親が勘違いする。「自分の言っていることは間違っていないのだ」と確信してしまう。しかし、「正しいことを言えば、人は実行できる」と思うのが勘違いなのである。

 

 いくら正しいことを言われても、ほとんどのことは実行できないのが人間なのである。筆者も「いつになったら勉強するの」と母親に言われたものである。

 それに対して「うるせぇ!クソババア」とよく言っていた。中学生くらいになれば、勉強することは大事だくらいは、皆分かっている。

 

 そして、いつも「勉強」という言葉が頭の片隅に浮かんでいる。そんなところへ「いつになったら、勉強するの」と言われると「今やろうと思っていたのに、やる気が無くなった」と言い返すことになる。これを親は反抗と捉える。

 

 親子のやり取りを冷静に捉えると、どう考えても反抗の種を蒔いているのは親の方である。

 

 今回の14歳の中学生も、頭にきて母親を刺したのである。初めに頭に来させるようなことをしたのは絶対に母親なのでる。

 切れて頭が真っ白になってしまう人ほど、その瞬間に自分が何をしたか全く覚えていない。

 

 切れ方も様々で片隅に理性が残っていると、ここまではやらないかも知れない。日常的に親の注意・叱責(いじめ)が続けば、どうなるかは分からない。

 ただ、はっきり言えることは、どの親も教師も良くしようとして、注意・叱責、説教・説諭をしているのである。実際は、そのほとんどが親や教師のイライラや不満の発散になっているだけであるとは知る由もない。

 

 だから、「直そうとするな、分かろうとせよ」と言われている。「意図的教育は、功を奏さない」とも言われている。往々にして意図的教育は分かろうとしていないためである。

 

 ここで、今回のような悲劇が生まれる。昭和50年代は、全国的な校内暴力に発展した。