以下のゴシック体の部分を精読していただければ、誤解をしないで済みます。

 

   突然子どもが「学校行かない」と言ったら?悩んで迷った当事者がマンガで描く「学校に行かない君が教えてくれたこと」

 

  小・中学校で不登校の児童生徒は9年連続で増加している。特に夏休み明けに不登校になる子どもは増加する。

 

  エッセイ漫画家の今じんこさんは、自身の経験をもとにマンガで不登校のリアルを発信している。

 

   新学期に向け不安を感じている子どもたちに、親ができることとは何なのか、聞いた。

■突然の「学校行かない宣言」当事者になってわかった苦しみ

   もし子どもに「学校、行きたくない」と言われたら、皆さんはどう対応するだろうか? 

※新学期に向けて不安を感じているのは母親です。そもそも多くの家庭では、子供の登校は当たり前と捉えているため、心配をしません。子供が不登校になる親に共通しているのは、いちいち親が不安になっているという現実です。親が不安になればなるほど、子供に伝わり子供も不安になります。

 

 「子育ては、半々」というのは理に適っていません。子供の依存対象は小さい時ほど母親です。母親が揺れていては子供は頼れるものがなくなってしまいます。

 

  本来、子供が不安になるのは「宿題が終わっていないから、大丈夫かな?」という程度で登校に対して不安にはなりません。それをハタで「ああじゃない、こうじゃない」と余計な世話を焼く程、子供は不安になります。

 

   基本は「当たり前」という姿勢が大事です。「学校へ行くのは当たり前」「宿題するのは当たり前」と言う姿勢です。そして、宿題をしようがしまいがどうでも良いという姿勢です。

 

 当然、学校へ行こうが行くまいが、宿題をしようがしまいが、どうでも良いのです。こういう親の安定した心持ちが何より大事なのです。

 

   新学期に登校を渋ったら、1年生であれば「誰でも行きたくないことはあるものだよ」「でも、行けばいいよ」と言って送り出します。それでもダメなら強制登校です。2ヶ月を目途に毎日連れて行きます。この時、大事なのは感情を抜きにして連れて行きます。毅然とした態度とも言います。可哀そうだと思う気持ちを払拭してやらないと効果はありません。

 

 子供には「泣こうが、喚こうが絶対に学校に連れて行く」とはっきり宣言します。そして、それを実行するだけでいいのです。見方を変えれば登校するというしつけをしていると考えればいいでしょう。しつけはし続けることが大事なので2ヶ月が目途なのです。(これは、行動療法のフラッディング法、1年生から3年生までは有効な方法です)

 

   いまは多様な学びがあるし、子どもの気持ちを尊重しようと感じるかもしれない。しかし、それが現実になると、思っていた対応ができないことも多いという。

※多様な学びがあると言っても学校での学びは最も簡単にクリアできるものです。はっきり言って学校生活に耐えられなければ、社会での仕事には耐えられません。学校ほど楽な所はないのです。

 

   エッセイ漫画家の今じんこさんの長男、もっちんは小学1年で不登校になった。いざ当事者になってみると、悩み、苦しみは壮絶だったという。

※壮絶に悩み苦しんでしまうから、こじらせるのです。小学校1年生であればフラッディング法を正しく適用すれば9割方は改善します。

 

  想像と現実は違う…。当事者だからみえた不登校のリアルを広く知ってもらいたいと、今さんは自身の経験をマンガで描き、コミックエッセイ『学校に行かない君が教えてくれたこと』(発行:オーバーラップ)を今年4月にした。 当事者として不登校に向き合うとはどのような経験だったのだろうか。

※まず言えるのは、今さんの想像がズレていたのだと思います。ズレたことを想像して、その枠にはめようとすればするほど問題が生じてきます。

 

  小学校に入学してひと月、5月に息子さんから「明日学校行かない」と言われたそうですね。

 

  「最初はそんなに深刻に受け止めていなかったんです。行かなくていいと思ってるのかな、まだ保育園から上がったばっかりで、わかってないのかな、って思いました」

 

   その後、学校への拒否反応がより強くなります。マンガでは『学校嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、行ぎだくないっ!!』と泣く様子が描かれています。

   「無理に連れてこうともしたけど、この子の気持ちを無視して連れていくことで、私の心もしんどくなって、でも行ってほしいし、子どもも尊重したい。自分の心がぐちゃぐちゃになっていきました」 ここから、今さんの七転八倒の日々が始まった。

※ここで既に対応が間違えています。子供の訴えを聞くことは大事で、それを受け止めますが、聞き入れてはいけないのです。

 受容とは、気持ちを全て聞き入れるが、行動を聞き入れるかどうかはケースバイケースなのです。今さんに的確なアドバイスができる人がいなかったのも気の毒です。ただし、アドバイスを実行できるかどうは人によって違います。当然、改善にも違いが出ます。

 

 筆者の経験では、アドバイスを直ぐに実行できる人は、それほど多くはありません。自分のこれまでのやり方を変えなければならないので、簡単ではないのです。だから、人によってカウンセリングに時間がかかるのです。

 

 ■「子どものため」が逆効果…親子で追い詰められ泣いた日々 もっちんが登校を渋っている頃の今さんの心情を表すこんなセリフがマンガにある。

  

  私の中に…寄り添う母「無理しないで」と悪魔「学校行けよ」が同居していた…』 学校に行きたくないと訴える子どもを見ても、今さんは学校を諦められなかったという。背景にあったのは、不登校になってわかった周囲の視線だ。

※申し訳ないけれど、受容ができていません。それ以上に母親は、子供にとって一番寄り掛かりたい存在なのです。その母親が揺れていては寄り掛かれません。

 子供の気持ちに寄り添うのです。行動に寄り添うかどうかはケースバイケースなのです。この場合、登校しないという行動に寄り添うべきではありませんでした。

 

   今さんはもともとは学校だけが学びの場と感じていたわけではないそうですね。

 

   「学校は素晴らしい、絶対行った方がいいと思うタイプの親ではなかったんです。いろんな選択肢があると思っていました。でも、いざ我が子ってなると、行かせなきゃって思って」

 

   それはなぜだと思いますか?

 

「やっぱり、社会全体が『行けるようになるといいね』という声かけが基本でした。『行けてないんだ』『大変だね』『かわいそう』という視線に、あ、そうなんだ、学校に行っていないのは駄目なんだ、自分が頑張って行かせなきゃいけないんだ、って思い込んでしまったんだと思います」 世間の目、無理解、憐み、自己否定…。

※そもそも学校だけが学びの場と考えている方が変なのです。多くの親は、特には何も考えていません。筆者も幼稚園が終わったら、学校へ行くのが当たり前と思っていただけです。他にも学びの場があるなどと考えるからおかしくなるのです。

 当たり前のことは当たり前にすればいいのです。普通の親は「学校が素晴らしい」などとは誰も思っていません。基本的にはいくものだけれど、休みたくなれば休めばいいのです。

 

   はっきり言って過剰反応なのです。「世間の目、無理解、憐み、自己否定…」これらは全て子供のためではなく、親自身のためでしかありません。そんなことが、良い形で子供に伝わる訳がないのです。でも、真に子供のためを思ったことは必ず伝わります。

 

   今さんはどんどん追い込まれていったという。そんな母親の様子に、もっちんは敏感に反応する。自分が学校に行けないから、お母さんが困っていると感じ、親にも「学校に行きたくない」という本音を言わなくなっていった。自分の感情を押し殺して学校に通う日々は、もっちんの状態も悪化させていった。

※子供がホンネを言わなくなったのは、この頃に始まったことではないはずです。ホンネが語れる家庭で子供が不登校になることはありません。何故か、ホンネが語れるということは、即発散になるからです。ストレスが溜まらないのです。

 

   今さんが学校に行かせようとすると、もっちんの様子はどうなっていったんですか? 「家ですごく泣くようになったんです。食も細くなりました。あと、カーテンがちょっと開いてるだけで怖がるとか、些細なことに恐怖心が増しました。でも、自分も精神状態がおかしかったので、気付けないんです。すごく視野が狭くなっちゃうんです。当事者になって、パニックに入ってるときって…」 追い込まれていった親子。

※不登校の家庭で多く見られるのは「登校刺激を控える」ことができないことです。今さんも、それができずに混乱しています。登校渋りが起きたところから朝、登校をさせる時以外の登校刺激は避けます。それはどういうことか、学校に関する話は一切しないことです。意外とこれができません。そもそも通常でも、学校の話などする必要はありません。子供から話して来れば、聞いていればいいのです。

 

 登校をしないことを責められていると感じる程、子供は自室に閉じ籠ったり、昼夜逆転したりします。自室や夜は親のプレッシャーから逃れられるからです。プレッシャーが外れないと親に気づかうようになります。そして、ホンネを言わなくなるのです。本当は、子供の心の休養なのに、親に気を使っているのですから、休まるはずがありません。

 

   しかし、そんなパニックから抜け出す転換点を迎える。それは、今さんに下されたある診断だった。

 

  ■子どもは自分で止められない…「死が見えかけるところまで頑張らせないで」

 

 その後、今さんから『学校頑張るのやめよっか』ともっちんに伝えるんですね。

※初めから、この姿勢を貫いていれば、そもそも不登校にはならないのです。登校するというのは、元々簡単なことなのですから、「学校へ行くのは当たり前」と簡単に捉えていればいいのです。

 

 よく言われるのが、「そんなんじゃあ。1年生になれないよ」というような脅し文句です。このようなことを言われるほど、子供は不安になるのです。

 初めての所は誰もが不安になります。だから、不安を和らげる対応が大事なのです。「あなたは、幼稚園を卒業したのだから小学校へ行く力は十分にあるのだよ」と語り掛ければ良いのです。

 

   「付き添い登校を必死にやってたんですけど、私にうつの診断が出たんです。それで、その日に「もう休もう」って声をかけました。 自分が先でよかったと思いました。自分にうつの診断がでたから、もっちんが本格的に壊れる前に学校に行かせることを止められたと思います。

※申し訳ないけれど、ほとんどの親は鬱にはなりません。筆者の所に通って来た数百人の親で鬱になった人は1人もいませんでした。過剰反応をしていれば心身はクタクタになるでしょう。強制登校法は「付き添い登校」ではありません。毅然とした態度で登校させる方法です。

 

 誰かが止めてくれないと自分を止められなかったから、子どもは尚更だって思います。多分もっちんは私が止めない限りは、状態が悪くても走り続けたと思います」

 

 止まってみて、どうでしたか?

 

 「人間が変わったぐらい、考え方も、生き方も変わりました。 世間がどう思うかより、私はもっちんのことがめちゃくちゃ好きだから、もっちんとの関係があれば別にいいやって思えるようになったんです。

 

 それまでは、学校に行きたくないなんて、どうしたのって思ってたんです。でも、自う見てただけなんだって。自分にとって都合が悪いところを問題として見ていて、もっちんは何も悪くなかったんですよね。もう過去の自分をグーパンです」

※ここまで、たどり着くのが人によって違います。今さんは時間がかかったようです。その分、子供の不登校は長引きます。昔から、「親が変われば、子は変わる」と言われていますが、これは真理です。逆に言えば、「親が変わらなければ、子は変わらない」と言えます。

 

 自分が限界にいたって、やっとわかるものなんですね。 「大体の親が、子どもが死が見えかけるところまでは頑張らせちゃうので、それがすごく良くないといまはわかります。もっと早い段階で、他にも選択肢があるってことを大人が知っておくことが必要だと思います」 今さんは、自分が病気になって立ち止まることができた。そして、母親の変化は、もっちんの変化に繋がっていった。

 

 「生まれ変わったら、いい子になりたい」から「自分のままで生まれたいなぁ」 親子で追い詰められていた際、もっちんはこんなことを泣きながら話していたという。

 

 『生まれ変わったら…いい子になりたい…』 学校に行けない自分を自己否定する訴えだった。しかし、学校を頑張るのをやめてからは、笑顔が戻り、こんなことを語るようになったという。 『生まれ変わっても自分のままで生まれたいなぁ…今の家族と』 学校がしんどい、合わない…そんな子どもたちが、もっちんのように不登校で苦しまないでほしい。

※ちょっと責任転嫁が過ぎます。普通は学校がしんどいとは思わないのです。「しんどい」と思わせてしまったのは、あなたなのです。

 この程度の理解で本を出版すると、誤解する人が更に増えるのを危惧します。

 

 今さんは、そんな思いをマンガを通して広く社会に訴えている。もっちんも、本が出たことを、そしてなにより、お母さんが明るく過ごしていることを喜んでいるという。

 

 誰でもこれから不登校の当事者になるかもしれません。また、いま必死に向き合っている方たちもいます。『学校に行かない君が教えてくれたこと』とは、どんなことだったのでしょうか? 「不登校にぶち当たったときに、自分の固定観念が崩れることばかり起きました。子どもが自分の思い通りにならないのは当然で、頭ではわかっているつもりでしたが、いまは本当に深くわかった気がしています。

※普通に育てていれば、子供は不登校にはなりません。「学校、学校」では、意識し過ぎです。学校は子守をしてくれるところで社会性を養うのに最適な所くらいに捉えていればいいのです。今さんの理解は、まだまだ浅いとしか言えません。

 

 不登校に目を向けるのではなく、子どものことを見てあげてほしい。子どもの口から出た言葉というよりも、子どもの本心がどこにあるのかを見てほしいです。そこを全部わかることなんて無理なんですけど、理解したいという気持ちを持って接することが必要だったんだなって、自分は振り返って、感じています」 (8月20日配信『SHARE』より)

※まだ、分かってないようですね。世間体や周囲の視線ではなく、親は子供に眼を向ければ良いのです。そして、ホンネで接していくだけで良いのです。ホンネが語れる家庭をひたすら目指すことです。