古希野球(70歳以上)の監督が、「高校野球の真似をしろ」と繰り返し言う。「ああしろ、こうしろ」と言うのは百歩譲って堪えるとしよう。

 

 問題は言い方だ。いい年寄りに対して上から目線で怒鳴りつけるのだ。対応の仕方まで、一時代前の高校生への対応と同じだ。今では、気の利いた指導者は、高校生に対しても絶対に怒鳴りつけるようなことはしない。

 

 残念ながら、日本の土壌ではまだまだ抜けていない。特に年寄りはダメだ。自分が何様だと思っているのだろうと勘繰りたくなってしまう。

 

 反論すると「言い訳するな!」の一言である。言い訳が大事なのに‥。

 

 筆者は子供が言い訳をすることを好んで認めてきたので全く理解できない。特に思春期以降は「納得」が大事だ。納得しないことを上から押しつける程、反発心が膨らんでいく。反発をされないためには言い訳を聞くことが大事なのだ。言い訳がガス抜きにもなるので、しっかりと聞いてやれば良い。

 

 何で、上記のような年寄りの実態を記したかと言えば、ここに不登校の原因の全てがあるからだ。

 

 不登校は、というより、人間の行動は、それ程難しいものではない。結構、単純に行動しているのだ。

 簡単に言えば、「嫌な事は言われたくない」のである。その典型が「注意・叱責、説教・説諭」なのである。※実際には注意・叱責ではなく、文句と言う方が的確だ。

 

 現在の学校において、注意・叱責(文句)が多過ぎるのである。かなり陰湿にしつこく文句を言う教師がいる。これは注意・叱責なんていうレベルではなく、単なる文句であるため害にしかならないのだ。言われる度に子供の嫌気が増していく。

 

 注意・叱責の効果的な仕方と言うのはある。やり方を守って注意すれば、子供は決して嫌にはならない。

 

 ところが、言葉も選ばず、自分の勝手な感情を勝手な言葉使いて言うのは、もはや注意ではなく文句のレベルである。現実にはこれが非常に多い。実際に行われているのは、大部分が文句と言っても過言ではない。

 

 これを繰り返されるほど、嫌になっていく。この延長線上に不登校がある。万引きを無くすために、「繰り返し注意しろ」と言った教育長がいたが、この教育長に限らず多くの大人が繰り返し注意すると良くなると勘違いしている。

 

 実際は繰り返し注意する程、人間はダメになっていくのである。

 

 霜田静志著「叱らぬ教育の実践」という本がある。イギリス人のニールと言う人が提唱した教育であるが、そこで「秩序のある所では叱る必要はない」と言っている。

 

 自分は叱らぬ教育の実践をしようとは思っていなかった。しかし、校則を無くすと注意する必要がなくなり結果として叱らないことが増えた。その結果、中学で非行が激減したという経験がある。

 

 教育相談を学んでいくうちに「直そうとするな、分かろうとせよ」という言葉に出会った。自身を振り返った時、教師になってから子供を良くしようとは一度も思ったことがなかったことに気づいた。良くできたかどうかは別として、授業に手を抜いたことは無い。

 

 その他の生活指導には手の抜きっ放しと言っても良かった。本心は、それだけいい加減に取り組んでいたとも言える。しかし、①命に関わること、②物を盗むこと、③物を壊すことの3つ以外は注意する必要がないと考えていたからだ。

 

 注意𠮟責の仕方についても学んだ。

①兄弟や友達と比較して注意しない(比較型)。

②前に話した事と今話した事が矛盾しない(矛盾型)。

③過去に注意したことを並べない(陳列型)。

 

 「みっともない」「世間体が悪い」「恥ずかしい」などの注意する側の気持ちを満たす言葉は絶対に使わない。

 

 特に思春期以降の子供には、納得しない言い方は控えなければならない。相手が大人であれば、尚のこと気つけなければならない。

 

 感情で文句を言う人ほど、最も大事な公平性に欠けていく。子供が「先生は、俺ばっか怒る」と訴えるのは、実際に偏っていることが多く、子供の訴えが事実のことが多い。

 

 繰り返し注意(文句)を言われるほど、内向的な子供は潰れていく。簡単に言うと不登校は、その結果である。

 

 文句を言われる度に言う人が嫌になっていくのが人情である。それが担任であれば、学校へ行きたくなるのは自然の行動である。人間は嫌だと思った人には会いたくないし、嫌な所へは行きたくないのである。

 

 1回や2回、理不尽な文句を言われても絶対に不登校にはならない。繰り返されると、それで潰れる子供が増えていくのだ。

 

 我々は散々注意され(文句言われ)て成長してきているため、注意する(文句言う)のが当たり前と思い込んでいる。しかし、この注意(文句)が子供を追い込んでいることに全く気づいていない。

 

 いくら文句を言われても、不登校になる子供は100人か200人に1人くらいである。これは何を意味するか。8割方の子供は文句を言われても不登校にはならないということだ。

 

 文句が心に刺さり易い子供が2割くらいいる。基本的に内向的な性質の子供だ。内向的な性質の子供は全体に対して注意しても「ひょっとしたら、自分のことを言っているのかも」と受け止める。反発も言い返すこともできないため鬱積が積もっていく。

 

 ところがチョロチョロと注意されるようなことをするのは外向的な性質の子供が多い。外向的な子供は注意されても自分は関係ないと受け止めているからダメージはない。彼らは直ぐに言い返せるから発散にもなっている。

 

 全体に対して注意するのは逆効果にしかならないという理由はここにある。

 

 日本の教育は欠点指摘の教育であるため、内向的な子供は潰れやすい。元々、内向的な子供に対しては「褒める・認める」が基本であると言われているが、家庭でも学校でも、全く配慮されていないというのが現状である。

 

 ここを改めない限り、不登校が減ることは無いと言える。

 

 2~3歳の幼児は全員が元気に飛び回っていて、この時点では不登校はゼロと言える。

 

 戦後のベビーブームの子供には、不登校はいなかった。不登校は、明らかに3歳以降の環境の問題である。

 

 その環境とは、大人の子供への接し方にある。