【子どもの不登校】担任の先生が信頼できないときには誰に相談する?

「不登校」という事象について考えるときに、本人へのケアという個人に着目した視点と、教育環境との相性や教育制度など、個人を苦しめている社会の側に視点をおいた考え方など、幾つかの視点があります。ここでは個人に着目した考え方の一つを本書から紹介します。

 

   上記の主張で、今村さんの不登校への理解が微妙にズレているのが気になります。ズレはだんだん大きくなるからです。以下ズレを具体的に修正していきます。

 

※不登校は事象ではなく状態像です。そして、不登校は100%環境要因です。いくつかの視点はありません。直ぐ素人は社会問題としますが、そんなことを言えば全てが社会問題なのです。不登校の視点は学校と家庭の2つだけです。焦点化して捉えられない限り改善は有り得ません。

 

   学校(担任)か家庭(親)のいずれかが的確な対応をしていれば不登校は発生しません。

 

   何故、環境要因が100%かと言えば、戦後のベビーブームの世代が子供の頃、不登校は0だったからです。簡単に言えば不登校は「通常のたくましさ」の欠如です。不登校がいくら多いと言っても100人に1人か2人です。大部分の子供は不登校になっていないということが重要なのです。

                        

   家庭でできることは、不登校にならない家庭教育です。これがきちんとできていれば学校がダメでも不登校にはなりません。ダメな担任でも大部分の子供は不登校にならないことが、何よりの証拠です。ただ親はアマチュアなので、残念ながら不登校にならない子育てを知りません。

 

 不登校は「学校を忌避している行動」です。したがって学校の対応が良ければ不登校にはなりません。不登校になり易い子供が家庭で作られても学校の対応が良ければ防止できるのです。それこそプロとしての力の見せどころです。残念ながら、現実は不登校に対する理解が親と大差ないことが大問題なのです。

  

   教師は教育のプロのはずです。したがって親より厳しい眼で見られても仕方がありません。親はアマチュアなので不登校にならない家庭教育ができなくても仕方がないのです。

 

   現在の不登校は学校が作っていると言っても過言ではありません。戦後のベビーブームの頃の学校に比べて教師が細かいことにうるさ過ぎるのです。文句や注意ばかりしているため不登校は増え続けているのです。簡単に言うと学校が楽しくないのです。

 

 ちょっと宿題をして来なかったり、忘れ物をしたりすると直ぐに家庭に連絡します。それを連携と勘違いしている教師が多いのです。こんなのは単なるチクリです。そうして家庭を追いつめて子供も追いつめていきます。多分連携の意味も理解していないのです。

 

   ダメな教師は宿題をさせたり、忘れ物をさせないようにしたりすることに夢中になって文句や注意ばかりして、それを家庭にまで連絡したりと余計な事ばかりしているのです。

   それもバカ親に要求されてやっているので話になりません。「能ある鷹は爪を隠す」と言われるように、ほとんどの心ある親は黙っています。

 

 ● 「先生に責められた」気持ちになる親御さんは意外に多い

※残念ながら、不登校児の親を責めるような言動をする教師はいます。大本にあるのが自己弁護の姿勢です。もう1つが不登校の理解と援助・指導についての学習がされていないことなのです。

 

 昭和50年代には不登校はかなり一般的になっていて、その頃から不登校の理解について様々な事が言われ関係図書も数多く出版されていました。ところが、当時と現在の不登校に対する理解が変わらないどころか、悪くなっているようなところもあります。教師だけではなく、今村さんも当時の一般的理解よりも低いように感じます。

 

 50年代に大きく変わったことが、もう1つありました。校内暴力が全国を席巻したため、「非行は芽のうちに摘む」ということで徹底的に生徒を力で押さえつけたのです。その結果が男子の草食化です。

 

 文部省出版の「生徒指導の手引き」第一種に、人間関係は「権力ー服従」「権威―尊敬」「出会い」の関係と3つあると記されています。※第1集は名著と言われている。

 50年代の校内暴力の横行の反省から、特に中学で「権力ー服従」の関係を徹底したのです。当然小学校にも「権力ー服従」の関係が求められ「出会い」の関係作りが閉ざされました。不登校の増加の大本はここにあるのです。

 

 「力」で徹底的に締められるほど内向的な子供は潰れていき、行き着く先は不登校やニートです。現在の力による生徒指導が行われている限り不登校の改善は有り得ません。

 

 学校と家庭の方針は、必ずしも合うわけではありません。

 考え方が違ったとしても、子どもが笑顔を取り戻すことを共通の目的として冷静に話し合うことができれば、そこから今後の道筋を探ることもできるでしょう。

 ※このような認識がズレているのです。「共通の目的として冷静に話し合うことができれば」という「たら、れば」で語っても意味がありません。

   家庭教育の方針は各家庭の自由です。家庭は学校に協力しても、学校の方針に従う必要はありません。学校に協力するということは、学校の言いなりになることではありません。学校教育は学校に任せることなのです。学校にやたら口出しをするのはいけません。多くの親は、これができていますが、一部の親が、勝手な要求を学校にするので困ります。

 

   子供が不登校になってから、筋道を探っているようでは不登校が定着してしまいます。迅速に的確な対応をする必要があります。

 まして、親に的確な対応が分かる訳がないのです。分からないから不登校になっているのです。的確な対応をアドバイスするのは、本来は教師なのです。その教師が不登校に対する理解が全くないようでは話になりません。

   

 今後の道筋を探るのではありません。既に分かっている道筋を早急に取り入れて対応することなのです。

 

   不登校への対応について、親は知りません。そして教師も知らないようでは話になりません。教師に求められることは不登校の理解と対応についての学習です。これだけ不登校が増加していると言われているのにもかかわらず、不登校の研修が無さ過ぎるのではないでしょうか。

   最低でも、生徒指導や教育相談担当の教師は、「不登校の理解と対応」について一通りのことはできるようにしておく必要はあります。

   今の時代、不登校やいじめ、非行に関しての理解と指導くらいは知らないようでは、「生徒指導ができる」とは言えません。教師の研修は一体何をしているのかと言われても仕方がないでしょう。

 

 でも、先生にそのつもりがなかったとしても、一方的に責められたり、不安をあおられたりするような気持ちになった……というお話を親御さんから聞くことは残念ながら少なくありません。

※これはコミュニケーション「力」の欠如とも言えますが、実際は言い訳ばかりしようとする姿勢の現われで、ついつい自己弁護的な言動になって言い過ぎてしまうというのが現状でしょう。

 

 不登校の中学1年生・Dくんのお母さんは、担任の先生から「他の子と同じことができないからダメだ」「Dくんの頑張りが足りないのが悪い」などと責められた気持ちになったそうです。そこでDくんの気持ちを説明したところ、「子どもの言うことをすべて信じないでください」と返され、先生を信頼できなくなったと言います。

※こんな教師は信頼する必要はありません。この教師は、不登校の指導について全く理解していません。

 

 昭和50年代でも、不登校児に対しては「登校刺激はしない」「できないことを指摘して、させようとしてはいけない」「『がんばれ』などの叱咤激励もしない」などと言われていました。

  「家庭訪問に行ったり、電話をしたりするだけで登校刺激なので、そこでは子供の話をしないで、世間話に徹する。」というようなことも言われていました。

 

   人間はうるさいことは言われたくありませんが、それ以上に無視されることは耐えられません。そこで月に1~2回程度、ランダムに家庭訪問をするくらいでよいでしょう。筆者は忙しくない日に夜、家庭訪問をしました。当然本人に会ったことは1度もありませんし、会おうとしたこともありません。行くだけで「先生は忘れていない」と通じます。

 

  中3を担任した時、2年生の時から不登校の女子がいました。始業式で教科書を届けても親が「会えない」と言うので「良いですよ」と言って、親としばらく世間話をして帰りました。月に1~2回の家庭訪問を繰り返して、5月の修学旅行から帰った日に数百円のお土産を買って、その家に届けてから帰宅しました。その間、本人とは1度も会っていません。6月になって突然登校してきました。そこで、初めて本人と対面しました。

 

● 先生は“先生”という役割のひとりの人間

 大人同士でも相性があるように、先生と子どもの相性にも当たり外れがあります。

 また、「ブラック労働」が話題になるくらいに、先生の仕事は多岐にわたって忙しいもの。たまたま疲弊してイライラしていることもあるでしょう。

※不登校は相性の問題ではありません。的確な対応ができるかどうかなのです。不登校の理解もしないで余計な事をしているのでしょう。

 

 組織人のひとりとして、自分のクラスで不登校の子どもが出たのは自分の力不足だと過度に責任を感じ、思い悩んでいるかもしれません。

※不登校がクラスから発生したら担任は責任を感じるべきです。楽しいクラス作りができていない証拠です。注意・叱責を止めて、子供と仲良くすることです。それだけで不登校は防止できます。

 教師が介入することは①人を傷つける、②物を盗む、③物を壊すの3点だけです。いじめは、最重点指導事項なので、徹底的に介入します。

 

 先生は、たまたま“先生”という役割を担っているだけであって、ひとりの人間です。決して神聖視する必要はありませんし、逆に何かあっても絶望する必要もありません。

 そこを理解した上で、先生に相談をしに行く時は、「クレームモード」ではなく、「相談モード」でいくのがおすすめです。

※たまたま「先生」という役割を担っているのではありません。教育のプロとしての役割を担うのです。日頃からプロらしい言動ができるように自らの研鑽を積むことなのです。子どもに「勉強しろ、考えろ、工夫しろ」なんて言っているようではプロとは言えません。プロは、自身が学び、考えて、工夫すれば良いのです。

 

 親御さんが初めて学校に相談をしに行く時は、気づいたら涙がこぼれそうなほど、不安でいっぱいだと思います。こういう時は、いつもより感情的になっているもの。まずは、深呼吸をして、少しでも平常心を取り戻して向かいましょう。

※今村さんは、全然分かっていません。何百例と相談を受けてきましたが、涙をこぼした人は1人もいません。皆さんしっかりと自分の考えを訴えていました。その考えを受容して修正していくのが不登校の援助です。

 

 そしておそらく先生のほうも、何か言われるのではないかと身構えているはずです。  そんな時に「学校が嫌だと言っています。思い当たることはありませんか?」と、攻撃的に言うよりも「学校に行くのを嫌がっていますが、どういう状況なのか知って、なんとか元気を取り戻せるよう支えたいので、一緒に考えていただけませんか」と言ったほうが、きっと親身になってくれるはず。 「一緒に問題を解決するためのパートナー」になってもらいたいという気持ちを伝えるようにしましょう。

※担任に相談に行くのは好ましくありません。何を言っても悪口になってしまいます。だって、目の前の担任のせいで不登校になっているのです。スクールカウンセラーの方が、余り当てになりませんが、まだ良いでしょう。

 

● 担任以外に相談することに罪悪感を持たなくてもいい

 担任の先生とうまくいかない時には、教務主任、保健の先生、副校長先生など、別の先生に相談しても構いません。

※他の先生に相談しても効果はないでしょう。ほぼ全員が不登校のメカニズムの理解とその対応について造詣が無いからです。教育センターなどの専門の相談機関が好ましと思います。そこでは学校との連携も考えてもらえます。

 

   最も大事なのは、これを機会に子供への対応を見つめ直して改善することです。不登校の指導は学校ではできません。なぜか、多くの親や教師は、こんなことも分かっていないのです。

 

   学校に来ていない子供を教師は指導できないのです。教師が指導できるのは学校に来ている子供だけなのです。

家庭にいる不登校児の指導は親しかできません。教師には無理なのです。このような分別が大人にないのがマズいのですが‥。

 

 「登校渋りで、遅れて登校してきた子供」に対して、教師は早く登校させようとしてはいけないのです。先ずは、放課後まで学校に居られるように働きかけます。それができてから、登校を早める工夫を親と共同で取り組みます。登校を早める対応は親の役目です。