コロナ禍で家に閉じ籠りがちになったため不登校が増えたと言う捉え方は間違っています。これでは不登校のメカニズムが理解できているとは言えません。

 休んでいると休み癖がつくから登校し難くなると判断するのは、大分短絡的と言わざるを得ません。通常は休み癖がついても登校しようと思えば登校できるのです。

 昭和47年に教師になって、不登校に巡り合ったのは中学に異動した昭和56年が初めてでした。当時は「登校拒否」と言ってましたが、全く不登校のメカニズムの理解はしていませんでした。担任していた生徒が入院したので見舞いに行くと看護師さんに呼び止められて「あの娘は登校拒否ではないのですか」と言われて、胸を張って「違います」と応えていました。肉体的な問題はないと言うのが理由でした。

 当時から不登校は「行きたいけれど行けない状態である」と言われていました。身体か学校に向かって動かないのです。これは、選択の結果ではありませんから、ゆたぼんとは全く違います。

 

 当時は登校拒否というのを全く知らなかったけれど、ちょうどその時、教育センターで生徒指導の研修に行っていたため知ることになりました。初めて平井信義著「登校拒否児」という本を読んで、クラスの登校拒否児への対応をして2人とも登校しました。これで登校拒否は全てOKと思いました。初期は自惚れるものだと後に理解できました。20冊読んで不登校のカウンセリングにも携わった時には、1人1人違うので全く解らなくなりました。

 

 筆者が初めて不登校に出会った頃は、全国的に校内暴力が盛んな時でした。「非行は芽のうちに摘む」という掛け声の元、徹底した力を使った対応が始まりました。上から徹底的に抑えられて反社会的な問題行動は激減しました。しかし、その反面非社会的問題行動である不登校が増加していきました。そして、現在に至っているのです。

 

 不登校になり易いタイプの子供は上からの圧力に弱いのです。力を使った対応をされればされるほど彼らは潰れていきます。その結果の不登校です。

 本当は不登校は学校を忌避するので学校に大きな要因があります。しかし、家庭教育でも十分に予防できるのです。では、なぜこれほど不登校が増えてしまったのでしょう。

 学校に呼応して家庭も同様のことをやっているからです。子供に自己決定の機会を与えず、細かいネチネチした文句が多いのが最大の原因なのです。家で伸び伸びと生活していれば、教師のうるささにも耐えていけますが、家でオッ飛ばされて学校でもとなると耐えられなくなる子供が増えるのは当然なのです。

 

 コロナで家に閉じ籠りがちになったことは不登校に関係ありません。

 不登校は「学校の居心地の悪さ」に他ならないからです。何で居心地が悪いのでしょうか? これを授業のせいにするのは大いなる勘違いです。子供にとって授業は遊びに比べてつまらないものと思っているので初めから期待していないのです。

 

 「今日の授業は面白かった」という言葉に惑わされてはいけません。それは普段の授業に比べての話なのです。NHKで子供のインタビューで「面白かった」「ためになった」と応えているのは、そういう建前を言える子供を選んでいるだけのことなのです。「つまらなかった」と応えたら絶対に報道しないのです。テレビは確証バイヤスでしかありません。

 

 授業について、初めから子供は大して気にしていません。むしろ、良い意味で「こんなもんだ」と諦めているのです。

 

 重要なのは、授業以外での教師の対応なのです。休み時間、給食、放課後のそれぞれの場で子供が伸び伸び生活できていれば何の問題もありません。

 筆者の経験では、授業態度の悪い子供は1人もいなかった。何故か、悪い態度は許さなかったからだ。授業でいくら厳しくしても子供は不登校にはなりません。授業中に「お前の頭は、家で売っている豆と同じで空か」と言っていた5年の担任のようにいじめるのは論外です。当時はこれだけだったので言われた子供も不登校にはなりませんでした。

 

 学校でのことを家庭に責任転嫁はしないことは大事です。

 忘れ物が多くても、宿題をして来なくても、学校で喫煙しても、家庭連絡は1度もしたことがありません。子供が成長する程、告げ口はマイナスにしかならないからです。もう1つは、宿題も忘れ物も喫煙も、学校で起きていることは教師と児童生徒との問題なのです。

 「家庭でも、ご指導をよろしく」などとよく言えると思っていました。自分の恥をさらしているだけなのです。そんなことを言って来る教師の言うことを聞いて、子供に注意すると悪くなることはあっても良くなることは絶対にありません。その場合は「分かりました。よく注意します」と応えて絶対に黙っていることです。

 

 家庭との連携の勘違いもあります。連携とは、①役割分担の明確化 ②役割の遂行 ③その上での協力 をすることなのです。

 

 家庭学習をさせるのは家庭の責任です。宿題は学校、忘れ物も学校、学校で起きたことは学校の責任です。親を巻き込んではいけません。家庭学習や忘れ物などの家庭教育のアドバイスは教師の仕事ではあるが、家で宿題の〇つけをさせるような教師の肩代わりは以ての外です。

 

 5年生で学級崩壊をしたクラスをそっくり6年で担任して、家庭訪問で何軒もの家から「去年は毎日の様に学校から電話があってたまらなかった」という話をされました。その中の1軒の母親は泣きながら訴えていました。その度毎に「余程のことがない限り家庭に連絡することはありません」と話しました。その1年間に家庭への連絡は一回もする必要ありませんでした。

 

 卒業時に、ある母親が「この6年間で、学校から連絡がなかったのは、この1年間だけだった」と話していたのが印象的でした。37年間の教職生活で家庭連絡をしたのは1回だけでした。友達の頬っぺたを引っ叩いて、頬を腫らしてしまったので、丁重に「相手の家に挨拶をしていただけますか」とお願いしました。(これもの教師の監督責任ではあります)

 

 家を出て登校しない生徒の家庭訪問はしました。問題がある場合は全て家庭訪問をしました。対面で話すのが最も効果的だからです。電話で済ませたことは1度もありませんでした。

 

 教科書を忘れようが、道具を忘れようが注意はしたことはありません。宿題も当然です。1週間で1度も注意しないというのがザラにありました。

 しかし、どういう訳か「怖い先生」と恐れられていました。崩壊クラスの担任で初めての授業のとき、教室の戸を開けた瞬間の光景が忘れられません。全員が国語の教科賞を開いて待っていたのでした。こういう光景は、この時のたった1回だけでした。1日つき合って怖くないと分かったのでしょう。

 

 親にやたら連絡すれば、親からも文句を言われて、子供はたまったものではないのです。悪く言うと親と教師が協力して子供をいじめていると見ることもできるのです。だから、いじめは連鎖して、いつまでも続くのです。

 

 申し添えておくと、筆者のクラスで不登校は発生していません。中学で生徒指導主事をして校則を2つに減らして問題行動が激減しました。当然不登校の発生もありませんでした。当時、校内暴力が全国を席巻していたが、市内で一番落ち着いている中学と言われていました。