No No Girlsに「逆走」的にめぐりあってしまった。
深い幸福感と、どうしようもない喪失感が、同時に襲いかかってくるという事態に直面することになった。しかもどうやら当面は逃れられそうもない。
「ノノガ」という単語は知っていた。HANAというグループ名とガールズグループであること、なんかダンサブルらしいということくらいだった。「ノノガ」と「HANA」という名詞すら関係づけられていなかった。
きっかけはマクドナルドのCMとそのメイキングをふとみてしまったこと。NAOKO version。
伊藤沙莉がダンスができるのは知っていた。
それこそ子役時代、「女王の教室」のエンディングで、天海祐希のサイドでHip Hop系のダンスを踊っている2人の生徒の一人だった。youtubeの映像を「へー、伊藤沙莉ってまだ踊れるんだ」くらいで見てしまった。
まだここまでなら耐えられたが、その後、ちょっと気になってもう一本の方(CHIKA version)を見てしまった。
そのコメント欄にこんな書き込みがいくつもあった。
「chikaの笑顔を見るたびに泣きそうになるのは俺だけじゃないはず」
「マクドナルド✖️伊藤沙莉✖️風神雷神は激アツ」
「Chikaが笑ってるだけで楽しそうにいてくれるだけで泣ける」
笑顔を見たら泣く?どういうこと?風神雷神ってなに?
で検索したらFirst Takeのちゃんみなの「Sad Song feat. No No Girls Finalists」を見つけてみてしまった。(みて、しまった)
もうこれが「致命傷」になってしまった。
5ヶ月で再生回数2500万回超。
そしてそれ以上にコメント欄が尋常じゃない。公開日は2025年5月。
「この動画1回も見てない人はいるけど、1回しか見てない人はいない」
「ファイナルのSAD SONGで泣かなかったCHIKAとKOKOが泣いてる姿を見て、
あの時泣きたかった自分の事を救ってあげられてる気がして安心した。」
「ただのファンでさえ
このまま時が止まってくれたらって思うんだから
当人たちはもっと思ってるよなって考えたら
普通に泣けてしまった。本当ぴったりな選曲。」
「何回観て何回泣いたら気が済むんだ自分。
一人一人の表情全部観るために永遠に再生してます
No No Girls Forever❤️」
こんなコメントが無限に続く。一番下のコメントが最新のもので11月3日付け。
このコメントもただ懐かしい記憶というだけじゃないのだと思う。
実際に聴くと、いままでほとんど聴いたことがなかったちゃんみなの声はあまりにも優しく、暖かく、慈愛のようなものすら感じる。そしてFinalistsが、つまりは最終審査でメンバーになれなかったKOKO、KOKONA、FUMINOが、同じ「Finalists」として歌い継いでゆく。
後で知ったがこれは最終審査のエンディングをなぞっている。このあたりはまた後日、きっと。
その歌声がさ、すごいんだよ。
10人のFinalists全員の声が、凄まじくエモーショナル。
そしてちゃんみなが「声」に、それはその人の生きてきた時間が現れるものだから、とこだわり続けていたことも後で知ることになる。ちゃんみなは「歌」とは言わず、「声」と言い続けている。
そして沼に引きずり込まれ、No No Girlsのアーカイブを第1回から第16回まで完走。そしてそれに付随するさまざまなドキュメントもあらかたみた。オーディションの過程を通じたその声の変化とその人の変化を辿ってしまうとちゃんみなが言っていた「声」に幾重にも折りたたまれたものを感じるようになってしまう。
引き返せなくなった。
どうしてくれますかね。
HANAのこれからをみてみたいと思う。でもそれだけだったらここまでどうにも引き返せない感はなかったと思う。
KOKO、KOKONA、FUMINO。
この3人がマクドナルドのCMのCHIKAみたいに笑って音楽をしていて、歌っていて、踊っている姿を探し続け、待ち続けるような気持ちになってしまっている。
でもそこには出口はあるの?
KOKO
KOKONA
Fumino


