中西アルノが36thシングルの選抜メンバーになった。

 乃木坂工事中での選抜発表直後にアップされたブログにこうある。

 

でもアンダーライブは

悔しさ、素直さ、情熱
そういう今まで避けてきたものと嫌でもぶつからなければいけない環境でした。


私も知らない私に出会ったし、私を強くしてくれた場所です。


私はここで根を張って頑張ってきたんです。
そこにプライドもあります。


そんな大切な場所で得たことも
噛み締めながら前を向いて
新しいこの場所でも変わらず命をかけて頑張ります。

 

 

 アンダー、アンダーライブに誇りがある。そして、だからこそそのアンダーという場所で得たことを噛み締めて「命をかけて頑張ります」という。

 乃木坂46というグループに加入すればその人の人生は文字通り激変する。何もかも変わる。

 けれども、そのなかでも最も「激変」に直面し、生き抜いてきた人、少なくともその一人が中西アルノだろう。その人のあり方そのものが激しく変わること自体を生きてきた人だろう。

 ここまでよく壊れなかったと思う。よく生き延びたとすら思う。言葉通りの意味でそう思う。その人が公式ブログに書きつける「命をかけて頑張ります」という言葉は、ただのレトリックではない。それほど軽いものではないと思っている。

 

 アンダーという場所に誇りをもつ中西アルノに「選抜(復帰)おめでとう」という言葉がふさわしいのかどうかわからない。また、選抜になったことへの攻撃がそれなりにはあるだろう。いまさらそれに負けるなどということはないにしても、ただただ嬉しいということだけでは語れないだろうし、強い緊張もあるにちがいない。

 中西アルノにきっと乃木坂46という場所は必要だった。そして同じくらい、乃木坂46に中西アルノという人は必要なのだと思っている。歌の力はもちろんだが、それだけではなく。

 例えば白石麻衣や西野七瀬のように乃木坂のメインストリームを歩むことはないような気がする。どこまでいってもどこかに違和感が残る人であり続けるように思う。

 けれどもそのことが大切なのだ。中西が編み上げていくグループの「もう1つの物語」のようなものが必ずあるし、それはすでに書かれ始めていると思う。そのことのかけがえのなさ、代わりの効かなさ。それを包摂することで織り上げられていく物語の豊穣さを体現し、語り手になれる人なのだと思っている。どこまでも「乃木坂46の中西アルノ」を突き通してほしい。選抜復帰は第3章の幕開けだと思う。