率直に言って「黒い羊」のMVは秋元康の歌詞の内容を遥かにこえている。質的に異なる次元にたどり着いている。
「黒い羊」の楽曲からあの振り付けと映像は直接には生まれでない。
歌詞は学校を舞台に、個性を持たない(個別化されない)「白い羊」ないしはその予備軍(真っ白な羊のふりをする者たち)と「黒い羊」に二分割された世界像になっており、その世界を黒い羊の側からだけ描き出している。
いわば「平手友梨奈を宛先にした」歌詞だと言っていい。
多層な空間構造(概括)
MVは4つの空間と2つの回廊をもつ多層構造になっている。
1つ目の空間は、建物の外部にある。「日常」と言ってもいいかもしれない。
2つ目の空間は、最初に平手が入っていくところ。ここで平手はある変貌を遂げていく。
そして1つ目の回廊。この意味は実は小さくない。
とくに尾関梨香と上村莉菜の存在は実は小さくない。それまでいわば画面のこちら側で「観客」として見ていられたのだが、尾関と上村の視線はこちらに向けられている。その瞬間、私は「観客」ではなくなる。あの世界の一人の登場人物になってしまう。
そしてこの回廊で平手は大人たちから罵られる。
3つ目の空間。
平手が花を持たずに入った空間。対立と抗争だけがある。
2つ目の回廊。
祭壇のようなものがあり、子どもから赤い花を受け取る。
そして屋上。このあたりはまた書くことがあるだろうと思う。
この多層構造は新宮良平監督のものだろうか。
建物の内部と外部、さらに建物の内部の構造、最初の建物外部の空間以外、一つとして現実に実在するような空間ではなく、各々、きわめて象徴的な空間を作り上げている。またその各々の空間の内部は区切られていないが、いたるところに別々の物語があり、それらは相互の脈絡もなく、混沌とした状態で併存している。
こうした空間の構造、配置は原曲の歌詞にはないものだ。
一つの物語から錯綜する物語たちのアンサンブルへ
そして非常に重要なことは、「黒い羊」の世界が、一つの声、一つの物語から、錯綜する多様な声、いくつもの物語の世界へ押し広げられていることだろう。
もともとの歌詞は、流動的ではあるが、基本的に白い羊-黒い羊の二項対立でしかなかった。もともと白い羊と黒い羊がいたわけではなく、白とも黒ともつかない羊がおり、それが「真っ白な羊のふりをする」わけだから、そこに一定の流動性、ダイナミズムがある。けれども基本的には<白-黒の世界>だ。
そして、歌詞はその世界を黒い羊の側からだけ語っていく。つまりは「黒い羊」=平手のモノローグが歌詞となっている。(だから「平手への宛書」と言われることには理由がある)
しかしMVは違う。
小池美波、佐藤詩織、石森虹花、小林由依、そして渡邉理佐、菅井友香…の生きた人間がいる。しかも一人ひとりが強い存在感を示している。一人ひとりが独自の物語をもっていて、それがはっきりと表されている。つまりモノローグの世界でしかなかった「黒い羊」の原曲の世界を、MVは多数の生きた人間の苦しみや悲しみの織りなすアンサンブルに押し広げている。
これはたぶん、コレオグラファーとしてのTAKAHIRO氏のイメージだろうと思う。
別段根拠はないが、秋元康、新宮監督、TAKAHIROの3人のなかで、もっともメンバーに近いところにいるのが、TAKAHIRO氏だと思うし、彼はメンバーすべての個性を掴んでいると思う。たぶん、秋元康はそこまでしらない。
あの人物の配置は個々のメンバーを熟知しているものしかたぶん、できない。
MVは全体のストーリーの設定は新宮監督かもしれないが、それを生み出す原動力になったのは一人ひとりの人物像の彫琢で、それを行ったのがTAKAHIRO氏ではないかと思う。彼にしかできない気がする。
さらに言えば、この点が重要だけど、そのTAKAHIRO氏の世界を引き出しのは欅坂46の各メンバーの力だと言っていい。一人ひとりが常に手を抜かず、自分自身を、ではなく、楽曲とその世界を現前させるために全力を尽くしてきたからこそ、TAKAHIRO氏は、すべてのメンバーに各々のストーリーを設定したのだろう。誰一人として軽々しく扱うことができなかったのだ。
そういう一人ひとり、すべてにストーリーを与えることが、MVの世界を作り上げることにどれほど有効だったのかわからない。見ているものにはその奥行きの僅かな断片=数人分しかわからない。
しかし、たとえば小池美波の生きている世界は、強烈な印象と起伏を持ってしっかり浮かび上がってくる。浮かび上がるという以上に、強い訴求力を持ち、胸に迫ってくる。あのほんの数秒で見ているものの胸を揺さぶるのは、率直に言ってすごいことだと思う。
でも考えてみれば、そうしたことはこれまでもあった。思い出した。
私には、道でふとすれ違っただけで、そのまま強い印象とともに私の中に刻み込まれ続けている人が何人かいる。別に何か特別なことをしていたわけではない。けれどもすれ違ったとき、何かが共振した。そんな感覚だった。もう二度と会うことはないまま、10年以上も色褪せず思い出される。たぶん、あのスマートフォンをみて表情がかわり、首ががくんと折れる瞬間を見ていたら、ずっと長く刻まれていただろう。そう思わせるものがある。
そういうものが錯綜する世界で、見ているものは、独自に視点を設定することができるようになる。どの物語に軸をおいて映像を見るのかで見え方がかわってくる。
しかし考えてみれば、これは現実の世界のあり方そのものだ。
ふとした瞬間、世界が切り取られ、一枚の写真に固着させられる。全く始めてみた世界のように見えることがある。写真の力だ。そこに映し出された世界は、確かにそこにあったはずなのだが、流れる時間に覆い隠されて見えないことのほうが多い。そうした世界の断面のようなものがふとしたはずみに見えたような気がすることがある。そういう感覚の世界だ。
電車に乗る。隣の席の人がぼんやりと窓の外を眺め続けている。そして一瞬、表情が歪む。その一瞬を偶然に目にしてしまうような、そんな事がある。何かただ事ならぬ空気を感じはしても、そこにある物語を私達が知ることはまずない。尋ねることもなければ、本人が話し出すこともしないだろう。私はあれこれ想像もしてみる。けれども、たぶん、それはものすごい勘違いで、的外れだったりするだろう。けれども私は、それが勘違いであることを知ることもできない。それすらできない。
それは嗚咽を漏らして泣いているとか、そういうことではない。もっとさりげなく、細やかで、ひょっとすると私だけしか気がついていないような微細ななにかだったりもする。
しかし明らかにそこに、私と違う世界を生きている一つの人生があり、これまで生きられた時間の堆積があることはわかる。そして世界は無数のそうした物語がより合わさって形作られている。
「黒い羊」のMVはそうしたことを強く思い起こさせる。一人の小池稲美のむこうには、一人の佐藤詩織の向こうには、あるいは石森虹花の向こうには、おのおの生命と時間を持った人たちがいる。そのことを強く教えてくれる。
ふと村上春樹の最初の作品、『風の歌を聴け』のラジオのDJ(いまはパーソナリティというかなと思うけど)を思い出した。
(後日、どのようなものだったか、加筆する。たぶん)
(加筆)
村上春樹『風の歌を聴け」講談社 1979年7月刊 p181)
下記に記載。
そう、「黒い羊」を繰り返し聴きながら、MVを繰り返し見ながら思い出したのは下の文章だった。なぜだかは知らない。何となく分かるけど、ここでそんなことを説明するものでもないと思う。
それにしても…
「不協和音」「ガラスを割れ」のMVとTVなどでのパフォーマンスのあいだにはそれほどのギャップは感じなかった。「アンビバレント」はちょっと厳しいものがあった。カメラワークに殺された気がする。「アイドルグループ」っぽく個々のメンバーを一生懸命抜かなくていい。楽曲とパフォーマンス全体をどう映像に収めるか考えてほしい。激しくフォーメーションが変わるダンスでカメラアングルまで変えられるとわけがわからない感じになってしまう。
しかし今回は…いったいどうするんだろう?
楽曲そのものの世界からMVがは大きく跳躍してしまった。
TVとかは楽曲とパフォーマンスだけになる。映像がないが、もともとの楽曲の世界に戻すんだろうか?
*************************
村上春樹『風の歌を聴け』37(全文)
やあ、元気かい? こちらはラジオN・E・B、ポップス・テレフォン・リクエスト。また土曜日の夜がやってきた。これからの2時間、素敵な音楽をたっぷりと聴いてくれ。ところでなつもそろそろおしまいだね。どうだい、良い夏だったかい?
今日はレコードをかける前に、君たちからもらった一通の手紙を紹介する。読んでみる。こんな手紙だ。
「お元気ですか?
毎週楽しみにこの番組を聴いています。早いもので、この秋で入院生活ももう3年目ということになります。時の経つのは本当に早いもんです。もちろんエア・コンディショナーのきいた病院の窓から僅かに外の景色を眺めている私にとって季節の移り変わりなど何の意味もないのだけれど、それでもひとつの季節が去り、新しいものが訪れるということはやはり心の踊るものなのです。
私は17歳で、この3年間本も読めず、テレビを見ることもできず、散歩もできず、……それどころかベッドに起き上がることも、寝返りをうつことさえできずに過ごしてきました。この手紙は和手足にずっと付き添ってくれているお姉さんに書いてもらっています。彼女は私を看病するために大学を止めました。もちろん私は彼女に本当に感謝しています。私がこの3年間にベッドの上で学んだことは、どんなに惨めなことからでも人は何かを学べるし、だからこそ少しずつでも生き続けることができるのだということです。
私の病気は脊椎の神経の病気なのだそうです。ひどく厄介な病気なのですが、もちろん回復の可能性はあります。3%ばかりだけど……。これはお医者様(素敵な人です)が教えてくれた同じような病気の回復例の数字です。彼の説によると、この数字は新人投手がジャイアンツを相手にノーヒット・ノーランをやるよりは簡単だけど、完封するよりは少し難しい程度のものなのだそうです。
時々、もし駄目だったらと思うととても怖い。叫び出したくなるくらい怖いんです。一生こんな風に石みたいにベッドに横になったまま天井を眺め、本も読まず、風の中を歩くこともできず、誰にも愛されることもなく、何十年もかけてここで年老いて、そしてひっそりと死んでいくのかと思うと我慢出来ないほど悲しいです。夜中の3時に目が覚めると、時々自分の背骨が少しずつ溶けていく音が聞こえるような気がします。そして実際そのとおりなのかもしれません。
嫌な話はもうやめます。そしてお姉さんが1日に何百回となく私に言い聞かせてくれるように、良い事だけを考えるよう努力してみます。それから夜はきちんと寝るようにします。嫌なことは大抵真夜中に思いつくからです。
病院の窓からは港が見えます。毎朝私はベッドから起き上がって港まで歩き、海の香りを胸いっぱいに吸いこめたら……と想像します。もし、たった一度でもいいからそうすることができたとしたら、世の中が何故こんな風に成り立っているのかわかるかもしれない。そんな気がします。そしてほんの少しでもそれが理解できたとしたら、ベッドの上で一生を終えたとしても耐えることができるかもしれない。
さよなら。お元気で。」
名前は書いてない。
僕がこの手紙を受け取ったのは昨日の3時過ぎだった。僕の局の喫茶室でコーヒーを読みながらこれを読んで、夕方仕事が終わると港まで歩き、山の方を眺めてみたんだ。君の病室から港が見えるんなら、港から君の病室も見える筈だものね。山の方には実にたくさんの灯りが見えた。もちろんどの灯りが君の病室のものかはわからない。あるものは貧しい家の灯だし、あるものは大きな屋敷の灯だ。あるものはホテルのだし、学校のもあれば、会社のもある。実にいろんな人がそれぞれに生きてたんだ、と僕は思った。そんな風に感じたのは初めてだった。そう思うとね、急に涙が出てきた。泣いたのは本当に久しぶりだった。でもね、いいかい、君に同情して泣いたわけじゃないんだ。僕の言いたいのはこういうことなんだ。一度しか言わないからよく聞いておいてくれよ。
僕は・君たちが・好きだ。
あと10年も経って、この番組や僕のかけたレコードや、そして僕のことをまだ覚えていてくれたら、僕のいま言ったことも思い出してくれ。
彼女のリクエストをかける。エルヴィス・プレスリーの「グッドラック・チャーム」。この曲が終わったらあと1時間50分、またいつもみたいな犬の漫才師に戻る。
御清聴ありがとう。