小池美波 のコメント。
http://www.keyakizaka46.com/s/k46o/diary/detail/19162?ima=0000&cd=member
黒い羊 は、何よりまずメンバー自身に突き刺さっている。
この曲はやっぱり1期生しか歌えないのだと思う。
メンバーが魂を震わせて歌い、踊る。
そのエネルギーが届かないはずがない。
それができるとも思っている。何より、その熱源があると思っている。小池美波のブログを読んで、そんなことを強く思う。
鈴本センターのサイマジョのとき、3列目の 小池美波 のダンスには目を奪われた。「二人セゾン」をアドリブで踊ったエピソードは欅坂の本質のような気がする。小池美波が前に出たんじゃなく、楽曲とパフォーマンスをグループとして完結させようとする見えない力が彼女を押し出したのだと思う。平手友梨奈が「憑依型」とよく言われるけれども、小池美波がセンターに躍り出たとき、彼女は「小池美波」ではなく、「欅坂46の『二人セゾン』」そのものになっていたんじゃないかな、と思う。いや不正確だな。「小池美波」が消えたんじゃない。「小池美波」という具体的な一人の人格を通して楽曲が現れてきたというべきかもしれない。
そうしたことを可能にするのが欅坂46 だと思っているし、小池美波 はそれを体現する人だと思っている。そしてここでさらに生まれ変わるかもしれない。そんな瞬間に立ち会えるかもしれない。そうした予感を少なくないメンバーが感じてもいるように思う。それはもう始まっているのかもしれないけれども、やはりライブやその他の回路で、受け取り手との関係でまた化学変化がおこる。楽曲と、楽曲とダンスと、個々のメンバーの関係だけではなくて、聴衆との関係の中で激しい変化が生まれる。
いつだって歴史に残るような楽曲はそうやって成長してきた。
そんなことがはじまる熱量をメンバーから感じる。
ただ、この楽曲は、聴く人を選ぶかもしれない。
「誰もが評価する名曲」というものもあるけど、本当に人に深く突き刺さる作品は、それが痛すぎる人、嫌悪感をもつ人、拒絶する人も生み出す。
そんな楽曲だと思う。それでいいのだと思う。もともと欅坂46じたいがそういうグループなんだろう。その行き着く先、たどり着けるギリギリの地点にある楽曲に思えてならない。
だからそのパフォーマンスは、絶対に中途半端ではないはずだ。
もしも機会があれば…
小池美波 、小林由依 、渡邉理佐
この3人がセンターをつとめる「黒い羊」をみてみたい。
平手とは違うけど、それぞれが、それぞれの 「黒い羊」であるような気するんだ。ぜんぜん違う景色が見える気がする。
「黒い羊」 は、
上手く言えないけれども、欅坂46がたった一人に届けようとするものであってほしい。
この曲に感応する人は、たぶん、自分に届けられた特別な何かだと感じると思うから。
もしも、たった一人が、この楽曲で生まれ変わるなら、それはきっと、100万枚売れるよりもすごいことなんだと思う。
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追記 MVをみて
小池美波さん、すごいです。何かがへし折れ、生の世界から死の世界へ、一瞬で移行してしまうよう。
ブログで自分を重ね、自分に切り込み、並々ならぬ思いと覚悟を込めていることは感じていましたが、あの本の数秒にそれを凝縮してしまったんですね。
だから、あの瞬間が生まれたのですね。
鳥肌が立つというような表現があまりにありきたりに聞こえてしまいます。
そしてリストカットしようとするあなたを「黒い羊」は全力で抱きしめた。
だからあなたは、みんなと一緒に走り出そうとする「黒い羊」を引き止めたんですね?生きていてほしかったんですね?