FNS歌謡祭の平井堅/平手友梨奈の『ノンフィクション』。歌い手には歌い手の物語と思いがあり、踊り手には踊り手の、また違う物語と思いがある。
 それが出会うとき、この『ノンフィクション』また別の『ノンフィクション』になる。

 CDで聴く平井堅の『ノンフィクション』とも、工藤丈輝が踊るMVとも違う、別の世界が開かれてくる。工藤丈輝の踊りを平手はできないけれども、平手の『ノンフィクション』を工藤丈輝が踊ることもできない。振り付けのCRE8BOYにも踊れないのだと思う。それは16歳の平手友梨奈にしか踊れない。

 たぶん、彼女が20歳になったら20歳の平手友梨奈として踊るだろう。同じ振り付けで踊ることはできるだろう。けれども、あの瞬間のダンスは、その瞬間にしか存在できなかった。そう強く確信させるものがある。

 工藤丈輝が踊る平井 堅 『ノンフィクション』
 踊り手でこれほどに変わる。
 平井堅の歌は変わらない。ブレていない。
 むしろ彼が生の自分の感情を爆発させず言葉を届けようとしているから平手友梨奈とのコラボで色彩が大きく変わる。それは歌の大きさでもあると思う。
23:02 - 2018年5月6日
(書き換えた)