あのような世界に触れてしまうこと、その世界へ跳躍できることは恐ろしくもある。生身の人間がたどり着けない世界に触れてしまったら、いったいどうなるんだろうか?

 「憑依型」とか簡単に言われているけれども飼いならすことができる程度の才能ならばいいけれども…
23:54 - 2018年5月4日

 チェリストのジャクリーヌ・デュ・プレは別の世界への桁違いの跳躍力、あるいは感応力のもちぬしだったと思う。
12歳でリサイタルを行い16歳で本格デビューする。
 10代前半でバッハやベートーベンの研ぎ澄まされた巨大な精神が宿ってしまうような演奏家だった。
 だから生身のジャクリーヌは壊れていったとしか思えない。詩人のアルチュール・ランボーも17歳でヴェルレーヌに天才を愛されたが、21歳には詩作をやめる。その後、放浪し砂漠の商人になる。

 飼いならすことのできない才能があるなら、何が生み出されてしまうんだろう。

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  「俺は正義にたいして武装した」(アルチュール・ランボー『地獄の季節』)

 まるで「不協和音」にでも出てきそうなフレーズだ。

 「ノンフィクション」のコラボレーション。とくに平手友梨奈さんのダンスをみてランボーの『地獄の季節』を再び読み始めてしまった。

 『地獄の季節』。
 ランボー19歳。彼が自ら出版した唯一の詩集。
 ランボーの年齢から遠ざかり、手にとることもなくなっていたのに、ふと読み始めると、以前よりもはるかに痛切に言葉響いてくることに驚いた。
 それはあのコラボとダンスに触れたからなのかもしれない。


 あの「ノンフィクション」のコラボレーション、とくにそこに加わったダンスが平手さんのものだったこと。そのことでかき乱され、呼び覚まされる何かがある。私にとっては。

 言葉がおびる響き、色彩、そんなものを変えてしまう。
その変容のさせ方が彼女にしかできないものだった。
19:09 - 2018年5月6日