みなさん、こんばんは。
とし総子です。
 
最近見て下さっている数がすごい増えていて、
私は何かに騙されているんだろうか??
と思っていたりします。
 
今日は、
まるで初夏のようなあたたかさで、
なんだか桜が申し訳なさそうに散っていくようでした。
 
桜よりも光が強くなると、
初夏を感じるのかもしれません。
 
そんな今日、
私のポストに届いたのが大横山飴先生の『花の在りか』上下巻でした。
 
 

 

 

配達員の方が面白い方で、

メールにて配達完了の写真を送ってくださるサービスのところだったようなのですが、

まるで捧げものをするかのように、

玄関の(一段しかない)階段の上に手を差し伸べるように置く様の写真でした。

 

それがあまりに慎重なのか、

逆に雑なのか笑

面白い置き方だなぁ、ポスト分からなかったのかなぁ、

なんて思いながら、

玄関に取りにいきました。

配達してくださった方、ありがとうございます。

楽しい、うふふでした。

 

 

そんな経緯でにこにこしながら開けた中身がこの『花の在りか』だったのですが、

開けた瞬間、午後からの私の過ごし方は決まりました。

 

此れ、読もう。

すぐ読もう。

 

なんででしょう?

表紙のうつくしさだったのか、

そこに描かれた冬の空気を懐かしんだのか。

 

とにかく、すぐに読み始めたのでした。

 

これは、三人の不器用な(ひとりは、器用すぎて不器用な)ひとたちのお話です。

 

作家を目指しながらも、

小説の書き方が分からない、

書く道具も定まらない。

まるでクラゲのように生きている青年。

 

彼は公園でひどく憂鬱そうに怒りながら電話で話しながら歩いてくる女性に見惚れます。

 

その彼女と映画館で再会するのですが、

彼女は小学生の頃の同級生だったのです。

それもお互いに憎からず想っていたふたり。

 

彼女と少し歩き、

話し、

もっと近づきたいと願う青年。

 

ですが、

彼女は今、

別れてからもずっと電話を掛けてくる男に悩みつつ、

韓国語の翻訳家を目指して留学するのを決めかねている、

とても恋愛に余暇を与えることができない状態でした。

 

そんな彼女、

実は青年の先輩の作家先生と昔塾の講師と生徒という関係でした。

 

その作家であり、先輩の男のひとは、

長年愛してきた猫に先立たれ、

そして長く別居をしている妻との距離をどうしていいのか分からなくなっていました。

 

その三人が時間をずらして点と点として出会い、

やがて時間がゆっくりと結合していき、

ひとつの三差路に立ちます。

 

そこまでの静かで、

凪いだ、

それなのに新雪を踏むような緊張を読者に与えてくれる作品でした。

 

私は、彼女と、彼女の先輩の女性と、その弟との会話がとても好きです。

 

そして青年からの気持ちを無下にしきれず、

彼の願いをゆるりときいてしまう弱さのようなやさしさが苦手でした。

 

うつくしい花を見ていたような読後感です。