みなさん、こんにちは。

とし総子です。

 

 

ちょっとまた間が空いてしまいました。

 

何をしていたのかと言いますと、

子どもたちの夏休みの宿題の丸付けと直しに追われ、

コロナと夫の怪我という出来事に割かれて止まっていた

小説の執筆をひたすら進めていました。

 

八月末の締め切りの賞に送ろうと書いていたのですが、

もうとにかく書き上げるだけでいっぱいいっぱいでした、、、

 

下読みの人に申し訳ないくらいですが、

どうしても出す!と決めていたので強行しました。

 

はー

頑張った!

 

 

 

 

さて、

そんな中でもやっぱり何か読むものはないと困ってしまうわけで、

(夫の病院の付き添いとか、麦茶を沸かしている間の十分くらいとか、、、)

 

こういう時は、先が気になってなかなか手が止められない「物語」よりも

文章も凝ったものが少ない「エッセイ」だ!

 

と手に取ったのが、

今回の『ミルクとコロナ』です。

 

 

 

 

この本は、

作家の白岩玄先生と、

山崎ナオコーラ先生の共著

というのか、

ナオコーラ先生の言葉をお借りしますと

“交換エッセイ”です。

 

 

 

 

片方が書いたエッセイに、

返事を書くように、

それを読んで考えたことも織り交ぜながら

次へ続く一石も投じる内容を書く。

 

そんな感じの、エッセイでの遠回りな議論

(というと言葉が硬すぎる気がしますが、、、)

をしていく一冊です。

 

 

 

この本のことを書く前に、

少しだけ先生方のご紹介を。

 

 

白岩先生とナオコーラ先生は、

2004年に文藝賞という新人賞を同時受賞されてデビューされた、

芸人さんたちでいうところの“同期”です。

 

 

白岩先生が書かれたのが、『野ブタ。をプロデュース』。

 

 

 

 

 

亀梨和也さんと山下智久さんのダブル主演でドラマ化もされています。

お二人が歌った主題歌も大ヒット!

私と同じくらいの年齢の方は、

ドラマを見ていなくても

今でもなんとなく歌えちゃうのではないでしょうか。

社会現象といってもいいくらい、

ドラマの評判も良かったですよね。

 

 

 

 

 

残念ながら、

私はこの本も、ドラマも未読、未見です。

 

 

 

ナオコーラ先生が書かれたのが『人のセックスを笑うな』。

 

 

 

 

こちらも実写映画化されてます。

永作博美さんと松山ケンイチさんが演じられているのですが、

小説の空気感にとってもあっていて

私は映画も好きです。

 

 

 

 

お二人とも、

デビュー作が大々的に取り上げられたところも同じですね。

 

 

 

 

さて、ではここから『ミルクとコロナ』のことを書きます。

 

(ちなみにこのタイトルはナオコーラ先生の案なのだそう)

 

 

このエッセイは、

中でも触れられているのですが

お二人が同じ文学賞でデビューした“同期”で、

そして同じくらいに子供を授かったということで

育児を中心としたエッセイを交代で書く、というところからはじまった本です。

 

なので、

最初のあたりは家族、育児、母親や父親への役割の押し当てについての考えを交換する内容が多いです。

 

そこから、

後半、

コロナが流行り始め、

生活が変化を促され、

終りの見えない自粛生活のはじまりがはじまってからの日々で

顔の見えない“世間”があげる声への疑問や

子どもに与える影響と

だからこその可能性の話へとうつっていきます。

 

 

 

私自身、ナオコーラ先生のエッセイを読むのは

これで三冊目です。

その中でもしっかりと声を上げていることなのですが

“性別で区切られる役割、要求への反発”が

今回のエッセイでも書かれています。

 

本文のなかでも、

ご自身の夫のことを、父親という言葉は使わず

「もうひとりの親」と言い換えています。

私はこの言い方とても好きだなと感じました。

 

 

「性別で区別されることへの反発」と書くと、

かたい文章なのでは、、、と思われる方もいるかも知れませんが、

生活に寄り添った言葉で書かれていて

ナオコーラ先生の小説同様にとても読みやすいです。

 

 

白岩先生のスタンスは

ナオコーラ先生と同じ方向には向かっているものだけれど

より身近に寄り添うような目線のものに感じました。

 

身近というよりも、

括りがよりこまかなもの、

という方が正しいかもしれません。

 

「“父親”“母親”という役割に押し当てられた期待や、要求に対して」

という括りの中に潜り込んで、

“父親だからこうして”“男なんだからこうあるべき”というひとつひとつに

疑問をふわっと投げてみる。

自分が動ける範囲で、

いろんな方向からそれをくり返している

そういう書かれ方をしていると思いました。

 

 

その姿勢のちょっとした違いが

お二人の子育てへの向かい合い方にも出ています。

 

 

 

 

お二人は、

自分の子どもに対して「ほかの子供たちと違うところ」を感じています。

 

ナオコーラ先生は、

それに対して

病院や、支援をしてもらえる場所に向かい、

そこで訴える自身の子育ての方向性に

あまり理解をしてもらえないことについて

憤るというよりも不思議に思ったり、

すこし不満に思ったりしている様子も綴られています。

 

ナオコーラ先生は

子どもを「治してほしい」わけではなく

「ふつうにしてほしい」わけでもないのだと書かれています。

 

子どもが生きていくのが

「少しでもやりやすいように」

できる「手助け」の方法や、支援のかたちを知りたいのだと。

 

名前のなかった状態に名前がついて安心した、

ということの先のことを

書いていかなくてはいけないのではないか。

 

どんな子どもも、

その特性を否定されずに生きていくことができる、

そんな理想に

私も共感しました。

 

 

私のところの長男も

ナオコーラ先生の子どもさんと似たところがあり

保育園でも小学校でも

「病院へ行ってみては」

「支援が必要ではないですか」

と言われ続けてきました。

 

なので私も病院を調べたり、

支援学級の見学に行ったりしたのですが、

結局本人が幸せそうなら

今はそれを“治す”必要はないのではないか、

というところに落ち着きました。

 

本人が躓いたら、

隣でそれを応援したり

手伝う方法を考えたり

先回りはせずにやっていこう。

何よりも本人が苦痛ではないなら

それを「ふつうではない」という必要はないように思っています。

我が家はその方法で、今のところ毎日笑顔で学校へ通っています。

 

 

白岩先生のとったのは、

外へ知識や支援を求めていく方向ではありません。

 

子どもさんのことをじっくりと見つめて、

“何を言いたいのか”

“何に怒っているのか”

を感じることに集中し、

それをもとにして解決策を探っていくという

“この子のためだけのやり方”を作っていきます。

 

一番「すごいな、、、」と感じたエピソードは、

白岩先生が子どもさんとのブロック遊びを書いている部分です。

 

もともと白岩先生ご自身がブロック遊びが好きで、

子どもさんにすすめていっしょにやりはじめたそうです。

 

子どもさんが作りたいものに必要なブロックが見当たらないとき、

先生たちはできる限り家事や仕事を中断して探すのだそう。

それは子どもさんの中に芽生えた

“こういうものが作りたい!”をやりとげて

成功体験を積み重ねていってほしい、と。

 

 

私はそんな風に子どもに時間を使ってこなかったな、、、

と反省してしまいました。

 

 

 

 

ここまで読んでいただいた方にはバレているかと思いますが、

私の性質や、考え方はナオコーラ先生に近いので

どうしても

ナオコーラ先生には共感を感じ

白岩先生には気づきや見上げるような気持を抱いて読んでいました。

 

 

 

 

後半は、

コロナが生活に与えた変化のなかで

子どもや自分たちのなかで変わったものを拾い、

コロナのなかでの書くことへの締め付け、

そして

その中で生まれてきた子どもたちへ

どんなことを考えているのか、が書かれます。

 

 

 

 

その中で一番私に残ったのは

ナオコーラ先生の

「子どもには、

コロナを悪者と伝えたくない」

というところです。

 

子どもたちにも、コロナというものの説明をしなくてはいけないと感じ、

「コロナは“森からきた”のだけど、

べつに人を困らせてやろう!と考えているわけじゃないんだよ。

それに触ってしまうと人が病気になってしまうということなんだよ」

と物語を語ります。

 

それに反応して白岩先生が書かれた「サンタクロース」という物語を

大人たちが作りあげる空気についての

やさしい目線の語りもとても好きです。

 

 

物語は

別に病状を楽にしてくれるわけではないけれど、

息苦しい今に、

心にいちばん働きかけられるものなんではないか。

 

そんなお二人の物語への信頼や、

その物語を作っていくという力強い決意が感じられました。

 

知識ももちろん大切だけれど、

こうやって心に落とし込むための物語を

私も大切にしていきたいです。

 

 

 

 

自身の生活も、

子どもたちの日々も、

この何年かで目まぐるしく変わりました。

 

そんな一生に何度も経験するものではない数年間。

 

作家という目線で書くことにこだわりながら、

育児や生活の中に今でもしっかりと息づいている違和感に目を向け、

そのなかで考えたことをお互いに尊重し

くみ取りながら

書き上げられた一冊。

 

読みやすいのに、

なんだかいくつもの講演会をきいたみたいに

自分の頭の中にも疑問をもち、それについて考えること

(その考えのきたところ、今いるのはどんな理由?)

が癖のように残りました。

 

 

子どもと接することに悩んでいたり、

自分の性別のことで苦しんでいるひとに

読んでみてほしいです。

 

解決策ではありませんが、

こんなふうに私は考える、と言っていいんだと

となりにきて頷いてくれるエッセイです。

 

 

 

 

 

この本のなかで触れられている

白岩先生の『たてがみを捨てたライオンたち』という本を読んでみたくなりました。

 

 

 


 

エッセイのはじまりに描かれているイラストは

先生たちご自身で描かれたものだそうです。

 

ここにもお二人の感覚の違いが出ているな、と面白かったのと、

意外にも(←すみません)上手なことに驚きました。

 

そんなところも、注目してみると面白いと思います。

 

 

 

 

ここまで読んでくださって、ありがとうございます!

 

白岩先生の著書を読んだことがないまま書いてしまって、

先生のことをお好きな方にはご不快な文章があったらすみません。

 

でも、このエッセイを通して

私は白岩先生の本にも興味がわきました。

よかったら白岩先生のおすすめの本をコメントで教えて頂けるとうれしいです!

 

 

また、私が読んで面白かったものを紹介していきますので、

よかったらまた読みに来てください。

 

それでは、また次のページを祈りまして

さようなら。