こんにちは、
とし総子です。
 

今日は、

驚く、というのか、

驚愕することが起こりました。

 

正直、日本でこういうことが起こってしまったことのショックが大きいです。

それが申し訳ない気持ちにもなります。

 

気持ちが落ちるというよりも、

自由を奪われて放心するような感じがなかなか抜けず

この午後は終わってしまいました。

 

 

長男が朝から高熱を出していて、

その世話もしながらだったからか、

本当につながった世界の出来事として呑み込めない感じです。

 

そういう

ふわふわしてしまっている人も多いかもしれません。

どうか、ゆっくり温かいものを体に入れてあげてください。

無理のない範囲で、

体をまずは休めてあげてください。

それに心は習ってくれると思います。

 

 

 

今日、漫画紹介をあげようか迷いましたが、

やっぱり自分に現実の手触りを戻すためにも書こうと思います。

 

 

久しぶりに読みました。

 

ご紹介しますのは、

ふみふみこ先生の『めめんと森』です。

 

 

 △ △ △

 

 
 
主人公は、
家族経営の葬儀屋でバイトとして働いている目野優子ちゃん。
 
彼女の教育係をしている先輩の黒川さんは
すぐに怒って「殺すぞ」と決まり文句を吐きます。
 
そんな彼がなぜか嫌いになれないメメちゃん。
(バイト一か月目まで、名札に「目目」と書いていて、
それを黒川さんに指摘されて「メメ」と綽名を付けられたのでした)
 
 
毎日、
毎日、
誰かが死に、
そのお別れの場所に立つメメちゃんと黒川さん。
 
メメちゃんは、
よく遺族の方の涙を見ては、
もらい泣きをしています。
 
しかし、黒川さんにはその涙が心の底からのものとは思えないのです。
 
自分が、
生きているのかいないのか分からないような毎日を送っていたメメちゃん。
 
どこかで、
黒川さんの言葉に、「もしも」を感じているメメちゃん。
 
 
メメちゃんは、黒川さんへの気持ちを自覚して、
世界は色を取り戻したように感じます。
 
小学校のころの宿題で、
毎日お母さんに「お母さん、あのね」からはじまって、
その日のよかったこと、楽しかったこと、きれいなものを書くというものがありました。
 
メメちゃんは、
その「お母さん」の部分に「お兄ちゃん」と入れて
書いていました。
 
えんそく、
雪、
いもほり。
 
たのしい、うれしい、きれいな思い出は、
すべて「お兄ちゃん、あのね」とはじまります。
 
メメちゃんの中の灰色はいったいどうして
かぶってしまったのか。
 
人の最後の別れに立ち会いながら、
生きている人の背中を見送りながら、
ふたりの心は、、、
 
△ △ △
 
 
ふみふみこ先生のお名前って、
なんだか呪文みたいで、
ちょっと何度か唱えたくなってしまうのは
私だけでしょうか。
 
死、というものを通して
自分の生が鏡のように映し出される。
 
それに寄り添って生きていくもよし、
そっと鏡面を押して、すこし違う方向へ足を向け始めるのもよし。
 
いくつかのお葬式の場面が、
穏やかで、
それぞれの終えた人生をゆっくりと振り返る場所として
お葬式って形は必要なんだろうな、と感じました。
 
静かで、でも狂気をたたえた生の中で、
互いをみつけた二人のお話、よかったら読んでみて下さいね。
 
 
それでは、
今日はこのあたりで失礼いたします。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
よかったら明日も覗いてみて下さいね。
 
夜、ゆっくり眠れますように。
 
それでは、さようなら。