ごきげんよう

実はToshiは数年前まで教会で牧師をしていたのよ

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今日は聖書の中の物語から愛についてのレクチャーをさせて頂くわね

うふふ


せっかくやっとの思いでソウルメイトに巡り会えたとしても
その愛が続かなかったらとっても悲しいわよね

・・・ま、そういうことも一つの学びではあるんだけど・・・

最終的には愛する人と生涯を共に歩んでいきたいと願うわ

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で、どうしたら最愛のソウルメイトと出会えて 
ずっと続けていくことができるのか?なんだけど・・・

そのヒントは、世界の神話の中で最も有名なふたりの物語の中に浮かび上がってくるわ

それは・・・アダムとエバの物語よ

そしてこの中には・・・

パートナーシップを育むための知恵があるの

アダムは初めは独りの人としてこの地上に造られたんだけど、
神さまは「人が独りでいるのは良くない」 と言われて
『彼に合う助ける者を造ろう』 といろいろな動物を造ったけど
アダムはそこでパートナーは見つけられなくて
満足できなかったのよ

そこでアダムを眠らせた神さまは
アダムのあばら骨の一部から エバを造ったの

目覚めたアダムは目の前のエバを見て
『ついにこれこそ私の骨の骨、私の肉の肉』
って最大級の言葉でソウルメイトを褒め称えたのよ

現代的に訳せば
『スッゲー超タイプ!!どんなことがあっても一生大切にするぜ!!』
って感じかしら

この物語の原典はヘブライ語という言葉で書かれているんだけど
そこにはさっきの『彼に合う助ける者を造ろう』 と訳されている言葉は
『エーゼル・ケネグドー』ってあるのね

ちゃんと訳すとちょっと長いけど・・・
「自分の経験や能力を相手に差し出して、向き合う人」っていう意味なのよ

「そこには年齢でも性別でもなく、また人種でも家柄でもなく、
ただただ独りの人と独りの人が対等に向き合う存在になってね」という
神さまの願いがあるのよ

アダムのあばら骨からエバが造られたことだって、
もし頭の骨からエバが造られたらアダムはエバに頭があがらない存在になっちゃうし、
もし腰骨からエバが造られたらエバはアダムに従わなきゃいけない存在になっちゃうし、
だから体の真ん中でしかも心臓の位置にもっとも近い骨から・・・心と心が結ばれる位置の
あばら骨で対等な存在として造られたってことなのよね

またこうも書かれているわ

『ふたりとも裸であったが恥ずかしがりはしなかった』

本当は原典では
『裸だから恥ずかしくなかった』って書かれてるのよ

対等なソウルメイトは隠し事のない向き合った存在だから恥かしくないっていうことなの

ところがこんなベストカップルのアダムとエバにもある時、破局の危機がやってくるの・・・

そう、神さまとの約束を破って
「禁断の木の実」を食べちゃったのよ

エバは蛇にそそのかされて食べちゃうんだけど
隣にいたアダムにも食べさせちゃうっていう話・・・

古臭い男尊女卑の人の説明では
「だから女はダメなんだー」っていうとんでもない解釈しちゃうのね

だけどよーく考えてみて!!!
あれほど『スッゲー超タイプ!!どんなことがあっても一生大切にするぜ!!』って
ほざいていたアダムはその時、何してたのよ!ってこと・・・

エバが大変なことをしようとしてる矢先に
隣にいながらアダムはまったくの無関心だった・・・ってことよ

『倦怠期』ってことかしら?

ここに関係性のほころびが忍び寄ってきたのよ・・・

愛の真逆は、そう『無関心』なのよね

向き合う関係性が崩れたこの二人に
神さまが対話をしようと近づくと
お互いがそれぞれ誰かのせいにして、自分の責任を逃れようとしたのね
これが『共依存』っていうやつ・・・

その時、二人とも素直に

「ごめんなさい」

っていう言葉を
神さまに言えていたら

エデンの園を追い出されることはなかったんじゃないのかな?って思うのよね・・・

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最愛のソウルメイトと愛を育むためにまず大切なことは

「お互いが自立してること」よ

「あなたは私に何をしてくれるの?」

じゃなくて

「私たちは自分のできることで、どうやって協力していけるかしら」

っていう気持ちが持てるようになれば
ソウルメイトと真実の愛で結ばれるようになるのよ

なんでも裸で向き合って
建設的な対話を重ねること・・・

そうして気づいた時、その愛は

An Everlasting Love

になっていくんだと思うわ

うふふ