あまり過去を思い出したくないけれど、書くことによって自分の行動なども思い返して反省したり…

そうすることで、心構えが変わっていくかと思い、書いてみます。


ふと、思い出して胸を撫で下ろしたこと。

母との同居です。

父が亡くなった時、家にひとりぼっちとなった母が、同居してほしいと言ってきました。
(本当は兄夫婦に言うのが筋ではないでしょうか?)
でも、「同居したら〇〇して良いわ。
でも、〇〇はイヤね。」などと上から目線の条件が多く、これでは私たち夫婦は離婚することになると思い、同居を回避しました。

私たちが同居をお願いするならば、色々条件つけられても仕方ないかもしれませんが、母から言ってきているのに、なんで窮屈なことを言われなければならないのかと思いました。

色々と言われましたが、これは同居したらダメだ!と思ったのは「同居したら一回はO君(夫の名前)の友達を呼んでも良いわ」という言葉。

え、一回?

耳を疑いました。

そして呼んだら呼んだで後に文句言われそう。
同居したら自由は無くなる。

私たち夫婦に、特に夫には余計に窮屈な毎日となるだろうと思ったのです。


同居を回避したものの、旅行は一緒に行くことになってしまい、何年かお盆休みに3人で旅行させられました。

私も毎年、母が一緒なのは流石に苦しくなり、精神的に病んだりしました。

夫も流石に不満を感じています。

だって普段の私は月に一回、それも平日が休みだったのですから!

まとまった休みくらい夫婦2人で過ごしたいですよ。

当時の私には旅行は苦痛でしかありませんでした。

旅行を決める段階から母と夫の間で気を遣い悩み苦しみ…

旅行先でも2人の間で板挟み…

辛かったです。

そのうち私が妊娠してお店を閉めることになりました。

その後は母も世界が広がったようで私たちと旅行に行くことは無くなりました。

孫より自分の楽しみを優先する母で良かったです。

お店をしている時ですが、父亡き後は週に3回は私と夜ご飯を食べたいと母は言い、夫は快諾してくれました。

が、ということは夫は週3日1人夜ご飯となります。
私が仕事前に夫の夜ご飯を作っていけば良かったのですが、余裕が無く、夫はファーストフードや外食を利用していました。

今、考えると週3回って酷いですね…

あの頃は何も考えていなかった私も、夫に対して酷かったと反省しています。

9時過ぎに家を出て、10時から21時まで商売をしていて、食事をする日は21時まで仕事をして、その後、母とのご飯。

帰宅は10時半をまわります。

食事をしない日は19時であがり、帰宅。

帰宅後に夜ご飯を作っていました。

ご飯を食べたらお風呂に入って寝るだけです。


休みは月に一度しかなく、土日祭日も仕事をしていたので正直、夫婦の時間はありませんでした。

今思うと、本当にブラックな環境にいました。
よく離婚しなかったと思います。

これは、夫の忍耐と寛容により今に続いたと思い、夫には感謝しています。

昔から母の良いように使われてきたんだな…と思います。

そして、素直?に従っていた私ってなんなのかしら?

問題有りですね。
そんな自分にも、とても呆れると共に腹がたっています。
そんな感じでずっと来ていたから、母が私のことを軽く見ているのでしょう。

母にとって私とは、母の欲を満たすことに最適な人間だったのですね。

ホント、同居しなくて良かったです。

母との関係のせいか、私は子どもたちが結婚しても同居は絶対にしたくないです。
自分が母のようになるのはイヤですから。
でも、母との時間が本当に長かったので私にも母の考えが染み付いているようです…

時々、ふとした時に子どもから、「ママ、今バァバ的考えっぽいよ!」と注意されます。
今も年をとった時も、決して母のようになりたくないです。
子どもを自分のいいように使うような親にはなりたくない。
そして、子どもの連れ合いを軽く見るような人間にはなりたくないです。