《記録です》
11月に家族で銀山温泉へ行ってきました。
銀山温泉のある野辺沢銀山は足利幕府時代に開かれ、江戸時代に入り寛永の頃に最盛期を迎えたあとは、湯治場としての姿にしだいに変わっていったそうです。なお、温泉街であったこの街が 1913年に大洪水で壊滅的な被害を受けたそうで、その後に建てられた旅館の街並みが現在に至っているそうです。ここが映画「乱れる」のクライマックスの舞台になっています。
「乱れる」は1964年の公開作品ですので、今から60年前の映画になります。当時は全国的な知名度も無かったのではないかと思いますが、今では旅行雑誌やテレビでも宣伝され、土日だけでなく平日も多くの観光客で賑わっており、海外から日本的なるものを求めてやってくる方も多く、なかなか予約が取れないそうです。
▼銀山温泉の姿ですが、レトロな雰囲気が人気のよう
写真で見ると分からないのですが、本当に小さな温泉街です。旅館の中には廃業したり、建て替えたりしたところもあるみたいですが、礼子と幸司が宿泊した旅館は今も残っていて、外観を見る限り当時の面影を残しています。なおこの温泉街は、10分ほども歩くと行き止まりになっており、そこには小さな滝が流れています。幸司はこの滝の上の崖から転落死したようです。
▼旅館の玄関には、表札の行燈が同じ場所にあります
▼この旅館の階段を高峰秀子さんが駆け降りてきます
▼転落死した幸司の姿を認め追いかける礼子の姿
▼しろがねばしの手前まで来た礼子は立ち止まります
このセリフの無いラストの数分が本当に見事としか言いようがありません。礼子が担架で運ばれていくゴザをかけられた幸司を追って、旅館から温泉街の入り口にあるしろがねばしまでの側道をひっしに走る姿を、カメラがずっとワンカットで追いかけていくのです。ここはかなり狭い道で長いレールを敷いて撮影をしたのでしょうか。高峰秀子さんの表情も必見に値します。
この映画では〝橋〟が頻繁に登場し、礼子の気持ちを代弁しています。銀山温泉の入り口にかかるしろがね橋。橋の向こうの坂道を運ばれていく幸司の亡骸。前の夜、必死に幸司を拒んだ礼子ですが、その結果が招いた幸司の死。礼子の心は引き裂かれたに違いありません。しかし、それでも彼女はこの橋を渡って幸司に駆け寄ることはしませんでした。すごい映画でした。
この項、終わり。