あのこは貴族 | アレレの映画メモランダム/休日は映画の気分

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ジャンルや新旧問わずに週末に映画館に通っています。映画の感想から、映画がらみで小説やコミックなんかのことも書ければ。個人の備忘録的なブログです。

あのこは貴族
 
2021年作品/日本/124分
監督 岨手由貴子
出演 門脇麦、水原希子、高良健吾
 
2021年3月7日(日)、シネクイントのスクリーン1で、9時45分の回を鑑賞しました。
 

都会に生まれ、箱入り娘として育てられた20代後半の華子。「結婚=幸せ」と信じて疑わない彼女は、結婚を考えていた恋人に振られ、初めて人生の岐路に立たされる。あらゆる手段でお相手探しに奔走し、ハンサムで家柄も良い弁護士・幸一郎との結婚が決まるが……。一方、富山から上京し東京で働く美紀は、恋人もおらず仕事にやりがいもなく、都会にしがみつく意味を見いだせずにいた。そんな2人の人生が交錯したことで、それぞれに思いも寄らない世界がひらけていく(以上、映画.comからの引用)、という物語です。

 
岨手由貴子さんという映画監督をこの作品で初めて知りました。顔写真を拝見したところまだお若く、この「あのこは貴族」が長編二作目だということに驚きました。実にしっかりした魅力的な作品でして、今後もこの方をフォローしていきたいと思いました。随所に女性監督ならではの感性を感じることができ、「すばらしき世界」の西川美和さんに続いて、またまた女性監督が大活躍です。俳優のみなさんも素晴らしいです。
 
名家のこ、良家のこ、普通の家のこ
 
まず、市川崑監督の「細雪(83)」の冒頭に重なるような本作の出だしの場面、都心の高級ホテルで年賀を祝う家族の食事シーンが見事。日本橋から大手町あたりと思われる夜の街を走るタクシーから建設中のビルを眺める華子の悲しげな横顔。私などはそこでもう作品に飲み込まれてしまったのですが、遅れてこの会席にやってきた彼女は、家族へ紹介するはずだった男性と別れたことを告げます。驚く家族一同の姿。
 
そこから華子の縁談についてのやり取りが始まり、ここでそれぞれの〝立場〟が明らかにされます。また、家族の会話をぼーっと聞いている華子自身の意識とのズレ感が伝わってきます。代々開業医をしている良家の末娘の華子は、これまでは親に敷かれたレールの上を走ってきただけで十分幸せだったのですが、いざ結婚という場になって自分の輪の外の世界に踏み込むなかで、自分の人生を見つめ直さざるをえなくなるのです。
 
このドラマが見事なところは、華子との対比で同世代の他の二人の若者の人生が描かれていくところにあります。華子自身がかなり裕福な家柄であることは最初の食事のシーンできっちりと伝わってくるのですが、彼女を中心にして、富山から東京の有名大学に進んだはいいものの学費もままならない苦学生(死語?)の美紀、そして政治家や実業界のトップを代々輩出するいわゆる名家出身で後に華子と結婚をする幸一郎が登場します。
 
▼石橋静香さん演じる友人も女性の友情を感じさて良かった
新宿・渋谷でなく、銀座・日本橋・丸の内
 
映画は異なる世界に生きるこの三人が交錯するなかで、最終的に自分の生き方を見直していく話になっています。女性の華子と美紀が目に見えないしがらみやしきたりといった社会的な壁や経済的格差を乗り越えて自分らしく生きられる道を探し出すのに対し、名家の幸一郎は親の期待に応えるべく流されるように政治家の道を歩むことに。そんな幸一郎のなんと精彩のないことか。男は変化できずに家に飲み込まれていくだけのよう。
 
本作では、「あのこは貴族」というタイトルが示しているように、身分や家柄によって構造化されている日本の社会において、それが交わる、混じることによる生きづらさを描きだしていきます。住む場所だけでなく、食事をする場所、遊ぶ場所、遊び方、通う学校も、全てが沈黙のうちに人を選んでいるのですね。私なら余暇を過ごす場所は新宿か渋谷ですが、華子は日本橋か丸の内で、幸一郎は東京でもなく軽井沢の別荘という感じです。
 
東京という大都市は、そうやって圧倒的多数の普通の人たちを栄養分として飲み込みながら、一部の特権階級、上流階級の人たちの生活を成り立たせていることが浮き彫りにされていくのです。本作はそういう都市論のようなところもあってとても興味深いです。また、地方と都会という二極化する経済問題も、シャッター通りとイルミネーションに輝く銀座の大通りを視覚的に対比することで、目で見て端的に分からせてくれます。
 
▼誠実そうに見える幸一郎にも少しズルいところがあり
円のあちら側のひと、こちら側のひと

映画の頭でタクシーに乗って建設中のビル群を眺めながら家族のもとへ向かっていた華子は、後半では同じタクシーのなかから今度は自転車に乗って歩道を颯爽と走る美紀の姿をみつけてタクシーを飛び降ります。人生をA地点からB地点へ運ばれる荷物のように生きてきた華子は、ここで作られた円の輪の中から外へ出て、自分の意思で人生を歩き始めるわけです。すると目に見える日常の景色までが突如として一変し出すのです。

華子が幸一郎の家に結婚の約束を交わすために訪れたとき、祝い膳の整えられた和室では、あちら側には男性、そして境界線を引くようにして、入口近くのこちら側には嫁いできた女性たちが座ります。日本古来の風習なのでしょうが、ここにも〝あちら側とこちら側〟と意識的に区別することで作り上げてきた世界があります。ここには厳格に守るべきものはあっても、新しいものが生まれてくる創造的な気配は一つもありません。
 
この息苦しさのなかで、地方から出てきた同じ世代の美紀が、お金はないけれども何にも縛られないで自由に生きる様を見て華子が惹かれていき、一方で幸一郎からは心が離れていくのは当然のことでしょう。良家の子であっても華子が本来どういう性格かは、瓶に入ったジャムを指ですくって舐める茶目っ気からも明らかで、長い長い遠回りの果てに、彼女はようやく本来の自分の居場所を見つけるという、これはそういうドラマです。
 
▼こういうところに価値観を置く方々もおられるということ

ラスト近く、夜の橋を歩く華子が道路を挟んで向こう側の歩道をふとみると、自転車を二人乗りしている普通の若い女性たちがいて、視線が合った彼女たちが華子に大きく手を振ってきます。そして手を振り返す華子。ここでは、華子が間に横たわっていると思っていた大きな境界線(道路)が既に消えかけていることを絵的に表していて感動的です。こういった、あちら側とこちら側を暗示していく演出が実に巧みでした。

何かというとタクシーを利用していた華子が、最後には自分で車を運転していたのも印象的でしたね(免許も持ってたんだ(笑))。山内マリコさんの原作は未読ですが、本作の脚本は岨手監督自身で書いているとのことで、そこも本作へのこだわりが感じられますね。原作未読ですが、かなり省略をうまく使っているのではないかと思いました。例えば、華子が両親と幸一郎の実家へ(離婚)を申し出にいくところとかですね。
 
華子に門脇麦さん、美紀に水原希子さん、幸一郎に高良健吾さん。これが本当にはまってて三人が実際におられるようでした。撮影がまたよくて、どんな場面も端正に美しく撮られていて、映画全体が本当に丁寧に創られていました。女性活躍を讃歌する本作ですが、男性も見終わったあとも実に清々しい気分になれます。いやむしろ男性にこそ観て欲しいです。公開館数は少ないですが、近くで公開されていましたらぜひご覧いただきたいです。
 
トシのオススメ度: 5
5 必見です!!
4 お薦めです!
3 良かったです
2 アレレ? もう一つでした
1 私はお薦めしません
 
 

この項、終わり。