火口のふたり | アレレの映画メモランダム/休日は映画の気分

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ジャンルや新旧問わずに週末に映画館に通っています。映画の感想から、映画がらみで小説やコミックなんかのことも書ければ。個人の備忘録的なブログです。

火口のふたり

2019年作品/日本/115分
監督 荒井晴彦
出演 柄本佑、瀧内公美

8月25日(日)、アップリンク吉祥寺のスクリーン3で、10時20分の回を鑑賞しました。

東日本大震災から7年目の夏。離婚、退職、再就職後も会社が倒産し、全てを失った永原賢治は、旧知の女性・佐藤直子の結婚式に出席するため秋田に帰郷する。久々の再会を果たした賢治と直子は、「今夜だけ、あの頃に戻ってみない?」という直子の言葉をきっかけに、かつてのように身体を重ね合う。1度だけと約束したはずの2人だったが、身体に刻まれた記憶と理性の狭間で翻弄され、抑えきれない衝動の深みにはまっていく(以上、映画.comより抜粋)、という物語です。

会社の同僚バリー(何度も書きますが日本人です)に〝是非、観てください〟と薦められ、吉祥寺まで行ってきました。バリーいわく、女性おひとり様が多いのにビックリ、ドキドキしたとのこと。私の観た回もそうでした。あと男性は年配の方が多く、昭和感漂ってましたね。鑑賞後は何ともしれない余韻がありました。

着地点を巧妙に見せないサスペンスドラマ

荒井晴彦さんの監督・脚本による作品です。1977年から脚本を書き始めた荒井さんの作品は、私が映画を積極的に見始めた時期と重なります。前田陽一の「神様のくれた赤ん坊」、根岸吉太郎の「遠雷」、森崎東の「時代屋の女房」、澤井信一郎氏の「Wの悲劇」など、振り返ると錚々たる監督に脚本を提供され、傑作揃いでした。

また、上記のどの映画も女優さんがすごく印象的で、それぞれ桃井かおりさん、石田えりさん、夏目雅子さん、薬師丸ひろ子さん&三田佳子さん、という具合にタイトルと同時にすぐに記憶を呼び起こされます。ちなみに荒井さんは日活ロマンポルノの脚本もよく手がけられていて、神代辰巳の「赫い髪の女」は二十歳を超えてレンタルで観ました。

そんな荒井晴彦さんの「火口のふたり」。直近で脚本を手がけた「幼な子われらに生まれ」も秀作で、大いに期待して足を運びました。なお、白石一文さんの原作小説は未読です。結婚を控えた直子が婚約者のいない新居で、かつての恋人(いとこ)と過ごす五日間。身体を求めあう二人の先に何が待ち受けているのか。

驚かされるのが性描写の激しさ。女性観客の多い中、私は微動だにせず息を殺して画面を見つめていました。寸暇を惜しんで交わるふたり。しかし、着地点がなかなか見えてきません。しかしラスト近くにいたり、ようやく自分のなかで腑に落ちました。これは着地点を巧妙に見せないサスペンスドラマだと思います。

▼ふたりの写真は誰が撮ったんだろう?と余計なこと考えてました

人は〝この世の終わり〟に何を求めるのだろうか

この映画の登場人物は、賢治と直子のたったふたりきりです。本当に他には誰一人として登場しません。このふたりをして世界を作っているのです。ふたりは血縁関係にあることから、他人はもちろん親族にも知られたくない隠された過去があります。ふたりはそれを写真という形にし、黒いアルバムの中に封じ込め、そして別れたのですね。

このアルバムはパンドラの箱でしたね。ふたりは時を経て再会し、直子は結婚前に最後に一度だけ賢治に関係を求めます。しかし、このアルバムを開いてしまったことから、ふたりはその後も逃れることのできないセックスという業火に焼かれるのです。賢治は火をつけたのは直子だと言います。直子は一度だけだと言ったはず、と諭します。

しかし男女の仲は理屈ではないのですね。婚約者の自衛官が帰ってくる五日後に向けて、延々と繰り返される性描写。そしてふたりは最後の夜を過ごすために秋田へ一泊旅行に。ここで、ふたりは西馬音内の亡者踊りと呼ばれる盆踊りを見ます。あの世とこの世の境がなくなる摩訶不思議な時間。ふたりが生きる世界もあちら側のよう。

ここに来てようやく、直子が富士山の火口を大きく写したモノクロ写真をずっと大切に保管していたこと、また彼女の結婚相手がエリート自衛官であったことなどが意味を持ち始めます。そして映画は、もしこの世に終わりが訪れるとしたならば、あなたはその時に何をして過ごすのだろうか?、と観客に問いかけてきます。

▼柄本佑さん、瀧内公美さん、演技とは思えない演技でした

ヤケクソのように相手の心も体も受け入れ、愛おしく慈しむ気持ち

聞いたことのある方も多いと思いますが、マズローが唱えた自己実現に関する欲求五段階説というのがありまして、その最も低次にある欲求というのが〝生理的欲求〟と呼ばれるものですね。諸説あるようなので明言は避けないといけないのですが、具体的には〝食事欲、睡眠欲、排泄欲(性欲)〟となっているようです。

この映画は、人間の生理的欲求を赤裸々に描いたドラマ。賢治と直子は、本能のままヤケクソのように食べているか、寝ているか、セックスしているかで、ドラマはこの描写の繰り返しで構成されています。ただ、 この映画の本当にすごいところは、これらの描写の中におけるふたりの生活や会話にお互いへの深い愛情を感じること。

その会話のやり取りのなかから、ふたりの間の結びつきの強さ、お互いの心も体もすべてを受け入れあい、愛おしく慈しみあう気持ちが自然に伝わってくるのですよね。こんなふたりの間に、いきなり赤の他人が割って入ることなんて絶対にできないです。この域に達するまでに、ふたりは幾ど体を重ねたのでしょうか。

この世が終わる時、どんな素晴らしい百の言葉を並べるよりも、たった一度狂おしく抱き合うだけで全てを伝え、理解し合うことができる、そんなことを感じさせるラストでした。この賢治と直子を演じた柄本佑さんと瀧内公美さんの潔い演技が素晴らしいです。そこに確かに賢治と直子が生きていることを感じることがでしました。

▼まったくもって飾らないふたりの世界が良かったです

柄本佑さんは「アルキメデスの大戦」も公開中ですし大活躍。私は瀧内公美さんの存在は、東日本大震災後の福島の問題を扱い、彼女がデリヘル嬢を演じた「彼女の人生は間違いじゃない(17)」で知りましたが、今回も同じ震災の問題を扱っており、かつバスの車窓から外を眺めるシーンも同様にあって、不思議な繋がりを感じました。

セックス描写が圧倒的ですが、意外にも厭らしさはなく、ふたりの背中姿がかっこよかったりします。女性の観客が多いのは瀧内公美さん演じる直子の言動に共感するところがあるからでしょうか。長々と書きはしましたが、この映画から何を読み取るか、またそれを言葉にするのは大変難しいですね。ぜひ、ご覧になって確かめてください。

トシのオススメ度: 4
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1 私はお薦めしません


この項、終わり。