生きてるだけで、愛。 | アレレの映画メモランダム/休日は映画の気分

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ジャンルや新旧問わずに週末に映画館に通っています。映画の感想から、映画がらみで小説やコミックなんかのことも書ければ。個人の備忘録的なブログです。

生きてるだけで、愛。

2018年作品/日本/109分
監督 関根光才
出演 趣里、菅田将暉、仲里依紗

11月24日(土)、新宿ピカデリーのシアター4で、9時20分の回を鑑賞しました。

過眠症で引きこもり気味、現在無職の寧子は、ゴシップ雑誌の編集者である恋人・津奈木の部屋で同棲生活を送っている。自分でうまく感情をコントロールできない自分に嫌気がさしていた寧子は、どうすることもできずに津奈木に当たり散らしていた。ある日突然、寧子の目の前に津奈木の元恋人・安堂が現れる。津奈木とヨリを戻したい安堂は、寧子を自立させて津奈木の部屋から追い出すため、寧子に無理矢理カフェバーのアルバイトを決めてしまう(以上、映画.comより抜粋)、という物語です。

いつもレビューを拝見しているHiropooさんが3.7の高評価をつけておられたので、観ておかなければならない作品のような気がしまして、この三連休中に劇場鑑賞するただ一本の映画にこちらを選択しました。芥川賞受賞作家の本谷有希子さんが2009年に発表された原作小説は未読です。

三連休真ん中の早朝でガラガラなのかと思いながら足を運びましたが、そこそこ入っていました。救いようのない話のなかに希望の光が見える瞬間がいくつかあって、そのたびに〝大丈夫かも!〟と思うのですが、これが上手くいかないのですね。なんとも悲痛な魂の叫びのような話でした。


駆ける白いスニーカーと翻る青いスカート

それはいったい夜なのか昼なのか、時間の感覚がよく分からないままに映画は始まり、進んでいきます。乱雑な部屋の万年床のような布団から抜け出した寧子は、津奈木にコーラと食べるものを買ってきて欲しいと頼みます。津奈木が外に出て分かったのですが、もう明け方前なのですね。

途中、コーラを買うために自販機に小銭を入れようとした津奈木は、透明のアクリル版が壊れているのを見て、寧子と出会った日のことを思い出します。彼の記憶の中には、夜の街を青いスカートを翻しながら白いスニーカーで駆けていく彼女の美しい後ろ姿が、今も鮮明に焼き付いているのです。

その後、津奈木のアパートで同棲を始めた二人。しかし寧子は実は双極性障害を患っていて、過眠症の状態にあることが分かってきます。決まった時間に起きることができず、コンビニのバイトの面談にも失敗する寧子。津奈木はそんな彼女を責めることもなく、じっと見守っています。

その津奈木の優しさに逆にイライラ感を募らせ、辛く当たる寧子。こんな自分になぜ優しくするのか、同情や憐れみからか、深く関わりたくないからか。妄想は広がって、自分も他人も、何もかもが嫌になっていく寧子。病気のために社会に適合できない彼女の苦痛が重層的に描かれいきます。

▼白いスニーカーに青いスカートの寧子の姿

いつも肝心な時におちてしまうブレーカー

ある日、寧子は津奈木のために何か食事を作ることを決心し、スーパーへ買い物に出ます。しかし、予定していた食材が売り切れており、彼女はパニック寸前になってしまうのです。普通の人には何でもない些細なことでも、彼女にとっては大変な精神的疲労を伴うことなのですね。

悪いことは重なり、帰宅して気を落ち着けるためにタバコに火をつけようとするとライターがつかない。料理のために電子レンジを使おうとするとブレーカーが落ち停電に。津奈木に連絡しようにも暗闇の中で携帯電話が見つからない。彼女にとって最良の一日になるはずが、最悪の一日に。

この時、彼女が〝なんで今なんだよー!〟と叫ぶのです。立ち直るために頑張ろうとすると、それを邪魔するかのように壁が立ち塞がる。そうして、自分はもう駄目かもしれないと、気持ちが落ち込んでいく。食い違った歯車が永遠に元には戻らない感じで、観ていて痛々しい限りでした。

そして、ここで物語が大きく動き出すのですが、津奈木が昔付き合っていた安堂という女性が寧子の前に現れるのです。そして、彼のアパートを出て行けと迫り、寧子を経済的に自立させるために自分の知人が経営している小さなカフェバーのバイトを紹介するというのです。

▼寧子の前に突然現れた津奈木の元カノの安堂

分かり合えないウォシュレットの恐さ

寧子はこのバイト先で自分の居場所を作ろうと、懸命に自分と闘おうとします。温かく彼女を受け入れてくれるオーナー夫妻。しかし、やはり朝は起きられずに遅刻を繰り返し、慣れない接客業では失敗続き。それでも周囲に支えられながら、懸命にカフェバーに顔を出そうとする寧子の姿。

一方で、津奈木は雑誌への出稿で残業の毎日。そして、その記事を掲載するかどうかで大きな選択を迫られているのでした。そのような状況で、寧子の話にも十分なコミュニケーションが取れない津奈木の態度に対し、また彼女が切れてしまうのです。二人の関係に影が落ちてくるのですね。

そんな時、寧子が閉店後に店内を清掃していると、オーナーが今日は切り上げてみんなで一緒に食事をしようと誘ってくれたのです。みんなの輪に入り、口数が多くなってくる寧子。そこで、彼女がウォシュレットの話を始めるのです。ところがこの話に対し、誰も共感してくれないのです。

自分が奇異な目で見られていることを察した寧子は店のトイレに閉じこもり、津奈木に助けを求めるのですがー。ようやく見つけた居場所も、そうではなかった。自分はいつも周りに〝見透かされている〟と感じる寧子。ここから映画は寧子の疾走とともにラストに向け文字通り走りだします。

▼カフェバーで温かく受け入れてもらう寧子

アパートの屋上でのラストシーンは心をえぐられるようでした。自分は自分自身とは別れることができない。そして、どこまでも分かり合えないと感じる他人との毎日のなかに、ほんの一瞬だけれども心が通じ合ったと思える瞬間がある。その一瞬のために自分は生きているのだという。

趣里さんの演技はとにかく終始すごかったです。これは彼女自身のキャラクターなのではないかと勘違いするくらいです。そして、それを受ける菅田将暉さんも、この役には彼しかいないというくらいはまってました。見せ場のほとんどない役なのですが、その存在感はさすがでした。

なお、私は双極性障害という疾患がどのようなものなのか理解できているわけではありません。映画のなかで描かれた寧子の姿や行動が医学的に見て正しいのかどうかは不明です。ですので、もしかしたら違和感を感じる方もおられるかもしれないですね。そうでなければいいのですが。

オススメ度: 4
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1 私はお薦めしません


この項、終わり。