幼少期に
たいそう可愛がってもらった
おばあちゃん![おばあちゃん](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/321.png)
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2月25日の未明
安らかに息を引き取りました
19日頃から飲み食いが難しくなり
このままだと長くて1~2週間とのこと
施設医と話し合った結果
特別な延命措置は取らず
静かに見守ろうということに
重度の痴呆、
寝ているか座っているかで
時間だけが流れる生活、
唯一の楽しみ(だったかどうかはわかりませんが)
食事やおやつまで奪われてしまって
果たして「生きている」と言えるのか...
嚥下機能が低下した以外は
まだまだ元気だったんですよ
100年間大病を患ったこともなく
内蔵だってまだまだ丈夫でした
点滴等で栄養を摂れば
それこそ3年でも5年でも
生きることはできたかもしれません
でもそれって
「生かされている」ですよね
回復の見込みがあって
尚且つ回復したあかつきには
何らかの楽しみや生きがいが待っている
それなら延命する意味もありますが...
しかも、そもそも
養護施設で延命措置はありません
その為にわざわざ入院させるなんて
とてもとても
旅立つ前日
まだ生きているうちに
きちんとお別れはできました
声を掛けると
自ら布団から手を出して
宙に伸ばすような仕草...
言葉にはなりませんが
何かを訴えるような声も
時折発していました
おばあちゃんなり精一杯の
最後のあいさつだったのかな
帰る間際
手を握って頬に触れて
「また明日来るねー」って言ってから
少しの間離れることができませんでした
嫌な予感というか...
虫の知らせというか...
今思うと、上記したような
おばあちゃんの仕草や行動を
最後のあいさつだと
ワタクシ自身が無意識のうちに
察知していたのかもしれませんね
まだ生きられたなぁ...
っていうのは今でもまだあります
ちょっとくやしいなぁ...っていうか
でもすごく印象に残っていて
今でも忘れない場面があって
小学校高学年の頃に
おじいちゃんが亡くなった時
あまりのさびしさ悲しさからか
「私ももう死にたいわぁ...」
って言っていたのを思い出して
35年以上の時を経て
やっと念願叶ったねって思うと
ちょっとだけ気持ちが和らぎます
これからはおじいちゃんと2人
お空からトシちゃんを見守っててね
100年間
お疲れさまでした