甲州犬目峠
富士の御山の美しさに見惚れました。
御山の下に目を転じると、荷を背負った二頭の馬を引く人足と旅人の二人連れが描かれています。
なにやら人足が旅人に腰を屈めて話しかけているようです。
馬の背の荷物は旅人の荷なのでしょうかねえ。
それとも、旅人が人足に何かを尋ねているのでしょうか。
二人の話し声が聞き取れないのが残念です。

右上の方にも、二人の旅人が描かれていますよね。
一人はキチンと笠を被り、もう一人は外していますね。
ハアハアという息づかいが聞こえそうです。
そして、先を行く旅人が「もう少しだから頑張りなさい」と励ましの声をかけているようで…。

 

本図で描かれている「甲州犬目峠」は、甲州街道の宿場のひとつである犬目宿(現代の山梨県上野原市)近辺の峠であるが、具体的な場所については明確になっていない。

吉田兼信の『甲駿道中之記』(文政13年(1830年))に「矢坪、犬目の駅過、犬目峠有、けわしき岩山なり、嶺上より富士嶺を望、絶景の地なり」と記されており、犬目宿とその西の下鳥沢宿の間にあった峠であると推察されている。

背後に雄大に描かれた富士山は、その高さによって白色、藍色、茶色で細やかに摺り分けられている[6]。緑に覆われた急勾配の坂道を左下から右上に配置し、峠越えに挑む旅人や馬子が描かれている[5]。地元犬目では遠見と呼ばれる高台より見える富士を北斎が描写したことが伝えられているが[7][8]、北斎が実際に甲州を訪れたという明確な記録は残されていない[9]。本図は「峠」というほど山深くはなく、不自然な描写となっている[5]。一方、歌川広重の『不二三十六景』に描かれる「甲斐犬目峠」では険しい山々の奥に富士が描かれており、北斎が想像上の景色を描いた可能性も指摘されている。

-----Wikipediaより

 

おまけ
歌川広重不二三十六景
「甲斐犬目峠」

2026-01-03 積雪です。
昨夜半では、雨音がしていました。
まさか雪に変わるとは、思いも寄りませんでした。
というのも、天気予報では寒波が来ると聞いていたのですが、
なんだか今冬は、「暖冬?」と思っていたのです。

2025年の2月までは、石油ストーブにファンヒーターと、ふたつの暖房器具を使用しての毎日でしたから。
2025年の11月末に足下だけを暖める電気ストーブを使用していて、12月10日過ぎに石油ストーブとの併用をしています。
日中は、寒くなったら電気ストーブで足下だけを暖め、夕方からの冷え込み時に石油ストーブとの併用です。
まだファンヒーターは片付けたままです。

今朝もね、寒くはなかったんですよ。
ただ窓を開けて、雪景色といえるほどではない積雪状態を見てびっくりしたわけですわ。



今冬2回目の積雪ですかね。
前回は駐車場全体に積雪があったんですけどね。
こんかいは、根性なしですかね。

でもでも、北陸やら東北・北海道地区での雪害には、お見舞い申し上げます。
毎年毎年、大変なことで、わたしの住む岐阜市地区では考えられぬ事ですので、
そのご苦労には頭が下がります。
そしてまた、お見舞い申し上げます。

どこかの地区で、道路上に温泉水を流している箇所がありませんでしたかね。
豪雪地帯には、ぜひとも欲しいですよね。



東都駿台

街道を行き交う人たちの柔和な顔が素敵です。

画面奥に、富士山がひっそりと描かれていますよね。
遠く故郷にいる父親が、我が子を慈しむように眺めているように見えませんか?

 

*本図は東京都千代田区神田にある神田川南岸の駿河台からの景色を描写している。

画面には江戸の住民が行き交う神田川側の坂道と大きな武家屋敷が描かれており、その奥に小さく富士山が添えられている。

近傍の神田小川町富士見坂という名が残されている通り、当地は江戸時代においての富士名所として知られた地であり、天保5年(1834年)に刊行された斎藤月岑の『江戸名所図会』では「昔は神田の台と云。

此所より富士峯を望むに、掌上を視るが如し。

故に此名ありといえり」と紹介されているほか、河村岷雪の『百富士』「駿河台」や歌川広重の『不二三十六景』「東都駿河町」などで描かれている。

礫川雪ノ且」と同じく、左上から右下へと向かう対角線構図が強く意識された構成となっており、高台からの眺望であるということを効果的に表現されている。

また、荷を担ぐ行商人、巡礼者、供を連れた武士、額に扇をかざす者、風呂敷を担いだ小僧といった画中の人物はキャラクターとして『北斎漫画』の中でも描かれている

-----Wikipediaより 

(おまけ)
歌川広重不二三十六景
「東都駿河町」