明らかに、コロナの第二波が到達しているにもかかわらず、これまた明らかに、人々の緊張感は、最初の衝撃的な頃と比べて緩(ゆる)んでしまっています。これは、経済を憂慮する政治家たちが、実に中途半端な「物言い」や、「施策」を打ち出しているからなので、間違っても、気の緩んだ人たちを責めてはいけないと思います。

けれども、私が繁華街を歩いていると、明らかに「コロナ我関せず然」として歩いている人たちを見るにつけ、「嘆かわしい」と思ってしまいます。そう思う私自身、コロナ疫が流行し始めた頃なら考えられないような「繁華街をうろつく」ようなことをしているのですから、コロナに対する心構えも、ずいぶん緩んでしまったものです。

 

私は心理学者ではないので、こういった心の動きが、どこからやって来るものなのか、さっぱり分からないのですが、とにかく、最初の衝撃と比べて、次の衝撃に対しては、ある程度心の準備も出来るからかもしれませんが、緊張の度合いが緩んでしまうような気がします。

「馴(な)れっこ」になる、というのが、この緩みに繋がっているのかもしれません。いったん、慣性の法則に乗ってしまうと、ゆったりと構えてしまうのが、人間の「習い性」ではないでしょうか。少なくとも私はそうです。平気で繁華街をあるいているところに、私の気の緩みが出ています。

 

けれども、そのようなことは、すべて人間の事情であって、まったくコロナウイルスとは関係がありません。ウイルスは、ウイルスの法則に則(のっと)って、繁殖(正しい言い方かどうか分かりません)を続けているのです。

本当は怖い話です。ところが、怖さに対する感覚がマヒしてしまっています。それは、さんざん怖いと思って来たからでしょう。そして、怖さの後に来るのは人間の本性、すなわち「無邪気な無頓着」ではないだろうかと、私は思っています。