ビギナーズラックという言葉を覚えたのは、まだゴルフ場に行くことが新鮮な体験だった頃、まぐれ当たりで長い距離のパタを沈めた時に、面と向かってそう言われたからです。本来は失礼な言葉だったのでしょうが、仕事でお世話になっている先輩からだったのと、自分でも「まぐれ当たり」だと思ったので、何とも思いませんでした。

確かに、この時の私の「一打(いちだ)」は、ビギナーズラックそのものだったと、今でも私は思っています。けれども、「ビギナーズラック=まぐれ当たり」という構図については、最近ちょっと怪しいのではないかと思うようになりました。それは私が、韓流ドラマやクラシック音楽のビギナーだった頃の、「愛着と興奮」を思い出したからです。

 

何事でもそうだと思うのですが、長続きするものだけでなく、飽きてしまうものでさえも、見知らぬ世界を垣間見て夢中になった時に、私たちが覚える「愛着と興奮」は、いったいどこから生まれてくるのでしょう?それは、生まれたばかりの赤ん坊が、この世の中に抱く想いと同質であるような気がします。

私のように、高齢者に仲間入りしてしまうと、どうしても、赤子のような、張りのある皮膚と感覚を忘れがちになるのですが、そのエネルギーは、ビギナーのエネルギーと言ってもいいと思うのですが、その時期にしか生まれ出てこないものであるように思うのです。

そして、そのエネルギーからは、「まぐれ当たり」ではなく、鋭い感覚だけが授かることのできる新発見や新感知が生まれるのではないかと思います。「初心忘るべからず」とは、このビギナーの感覚を忘れないようにという意味もあるのではないでしょうか?

[ご参考] 「初心忘るべからず」の解説です。

http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc9/zeami/gyouseki/kakyou02_1.html

 

そうだとすれば、それこそ貴重な、この世の宝物です。今ひとたび、華のビギナーとなるべく、何か新しいものを探さなければと、躍起になっている昨今です。やらねばならないことが、何も出来ていないにもかかわらず。