私が韓流ドラマのビギナーだったとき、言いようのないほど味わった愛着と興奮を、今でも覚えていますが、さすがに十年以上に亘(わた)って視聴し続けていると、そのような新鮮な感覚も、少し鈍ってきたように思います。懐かしきビギナー時代、といった感覚です。

それと同じような想いを、私は学生時代にも味わったことがあります。それは、クラシック音楽に目覚めて、少ない小遣いを貯めて買い揃えたレコードに関しての感覚です。

 

 チャイコフスキー 「スラブ行進曲」「1812年序曲」

 チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番

 シベリウス 「フィンランディア」 スメタナ「モルダウ」

 ドヴォルザーク 交響曲「新世界」

 ベートーヴェン 交響曲「合唱」

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こんなにポピュラーなクラシックから、私は聴き始めました。レコード以外の音源としては、ラジオやテレビのクラシック番組(当時も今も数少ないですが)しかない時代です。当然のように、同じ曲を何度も何度も聴くことになります。曲の隅々まで記憶に残るのも当たり前のことです。

ところが社会人になって、自分で自由にできるお金が出来ると、ベートーヴェンの弦楽四重奏全曲だとか、シベリウスの交響曲全集など、一度に何枚も買ってきて、一度聴いてはレコードキャビネットに仕舞い込むようになると、同じレコードを聴く機会が極端に減ってしまいます。

すると、これも当たり前ですが、それぞれに対する想いも薄くなります。クラシックビギナーだった学生時代の感覚が、ある意味、鈍ってしまうような気がするのです。クラシック音楽の幅は広がったつもりになりますが、ビギナー感覚は失われてしまいます。それを、ちょっと寂しいと思ってしまう昨今です。