私も、自意識が強く、中学三年生で小説家を志すまでは、何で身を立てるにせよ、「一廉(ひとかど)の人物」になりたいと思っていました。ですから、私が宿命的な天職だと信じた小説家も、トルストイやドストエフスキーの後を継ぐぐような小説を書く文豪になることを目指したのです。

それは、自分の才能を考慮しない、いかにも無謀な志だったのですが、十五歳の少年にありがちなものだったように思います。そして、「感動を与える」ような作品が、いとも簡単に書けるような錯覚に捉われていました。「感動」というものを、深く考えていなかったのでしょう。滑稽だった私の青春の想い出です。

 

ところが、本当の滑稽さと私の愚かさは、その想いを、分別がつくようになってからも持ち続け、ただの一作も感動的な小説を書けずにいたのに、棺桶が目の前にあるような現在に至るまで、必死でしがみ付いているところにあります。客観的な目で自分を見てみると、浅はかさを通り越え、哀れみさえ覚えてしまいます。

それでも、「感動」が与えるものではなく、魂と魂が同期することにより生成するものだということを、ベートーヴェンの音楽から学びました。「感動を与える」などと意気込まず、力を抜いて、静かに社会や自分を見つめることが、芸術を創造する要諦だと、今では思っています。ですから私は、自分の魂の中から生まれる想いを、ただただ独白すればいいのです。

そうすれば、音の重なりから生まれる響きのように、単音とは、彩りも深みも異なる別世界に身を置くことが出来るようになるのではないかとの期待が、今の私が文学に寄せる心であり、生甲斐になっているのです。

 

若いアスリートたちは、今も、「感動を与える」ために、日々、肉体的、精神的な修練を積んでおられることだと思います。私は、違和感を覚えながらも、そのような人たちを心から応援しています。青春のエネルギーを自己鍛錬のために使うことは、「感動」という言葉を超えて、すべての人に希望を与えてくれるからです。