世界平和や世界文明のために戦うことが当たり前だった大日本帝国は、富国強兵を旨として、世界中の強国を相手に、その存在感を示していました。その価値観は、明治時代から教育に浸透し、大正生まれだった私の両親も、学校で習ったことは「絶対」であると信じていたそうです。

少しおかしいと思うこともなくはなかったそうですが、妙な質問は許されず、頭ごなしに信じるしかなかったとも言っていました。その意味では、現代の北朝鮮や、かつての共産主義国の教育と似ていたそうです。

 

ところが、「絶対」負けることがないと言われていた太平洋戦争に大日本帝国は敗れました。亡くなった母によると、すでに敗戦ムードが、ほとんど空襲がなかったという京都に住んでいても、敵の飛行機が本土の上を飛んでいるのを見ているだけで漂ってきたと言います。

ですから、「玉音放送」を聞いても、無念の気持ちよりも、「やっと終わった」との解放感が大きかったようです。そのような人を、非国民だと思った人もいるでしょう。ただ、「これから日本はどうなる」と、先の生活への心配の方が、圧倒的に多かったと母は言っていました。

 

アメリカ兵が婦女子を襲うから気を付けなければ、との風評も、真顔で囁かれていたそうです。けれども、それも杞憂に終わり、次第に日本は復興に向けて舵を切り始めました。

縁があって、復員してきた私の父と、適齢期だった母は、暗い青春時代を取り戻すかのような恋愛を経て(もちろん伝聞ですが)、私が生まれたのです。

二人は、暗かった戦争時代のことを、よく私に話してくれました。その中で、一番印象に残っているのが、次のような言葉でした。

 

「戦前の教育で当たり前だったことが、たった一日で、コロッと変わってしまった。」