人間は、瞬間に見分けることのできない動物ではないかと思うことがあります。だから、誤解というものが生じて、物事をこじれさせることになるのです。でも、誤解は、時間さえかければ必ず解くことができるものではないかとも思います。

ですから、人間同士であれば、お互いを尊重して話し合えば、必ず理解しあえるのではないでしょうか。今の北朝鮮は、太平洋戦争前の大日本帝国のように、世界中から危険な存在として孤立させられています。もう、話し合いは無駄だという人も大勢おられます。

でも、それで北朝鮮を追い詰めて、第二次世界大戦のような悲惨な事態になることは、誰も望んでいないはずです。誤解が解けることを、私は切に願っています。

 

組曲、第九曲の【我が街 京都下鴨 My Town Shimogamo】です。

https://www.youtube.com/watch?v=GrZfJr0iLY8&list=PLrM__dYTrSJO5sj7iVsMI3vBc_sBE3J3h&index=9

 

実は、組曲「我が街 京都下鴨」を聴こうとして一番最初にアクセスしたのがこの曲でした。そして、情けないことですが、私はがっかりしてしまったのです。クラシック音楽(まだ私は垣根を作っているのです)を期待していた私には、この曲は異質の音楽に聴こえてしまったのです。そこで、私の中に妙な心の壁ができてしまいました。

ところが、全体の音楽を聴いてから、もう一度聴き直してみると、ジャズ風(あまり厳密な意味は分かっていないのですが)に聴こえるこの曲の中に、何とも言えない魅力が満載されていることに気づきました。今では、全曲の中でも愛聴しているものの一つになっています。

単純そうなリズムなのに、多彩な想いが細やかに表現されています。そして、多彩なものの中に溶け込みそうになったリズムが、再び蘇って来るところが秀逸です。最初の印象は払拭されました。愚かな私の誤解だったのです。