リオのオリンピックは終わりましたが、パラリンピックが
始まっています。日ごろ、人と比べることの虚しさを嘆い
ている私ですが、スポーツなどで譲り合っていたのでは、
面白味がないことぐらいはわかります。
 それどころか、実は、かなり応援にのめり込むタイプで、
幼い頃は、若乃花(初代)や巨人が負けてしまうと、食事
まで不味くなってしまうのでした。もっとも、ある事情から、
今はアンチ巨人になってしまいましたが。

 五輪などの国際大会になると、偉そうにコスモポリタン
を自称している私でも、日本選手の応援に血沸き肉躍る
日々を過ごします。
 その矛盾をどのように説明をすればいいのか、問い詰
められれば困ってしまうのですが、幸い今のところ、面と
向かって詰問されたことはありません。
 とにかく、スポーツはライブ中継の興奮が堪らないもの
だと思っています。後から結果だけ聞けばいいという人も
身近にいますが、未熟な私は、その心境にはなれません。

 そのようなテレビのライブ中継に、手の汗を握り込んだ
私が参戦していると、よく絶叫型のアナウンサーが「日本
人が心を一つにして」とか、「今、日本人の心は一つにな
りました」といった趣旨のことを喋っています。
 素直に聞き流せばいいのでしょうが、これまで私はその
言葉に引っかかっていました。
 「心が一つになるなんて、あり得ない」
 「戦時中の日本人は、鬼畜米英に心を一つにしていた」
などと、悪いことばかりを考えていたのです。

 ところが、70歳に近づくにつれて、自分が「心が一つに
なる」と考えてきたことと、現実とに大きなギャップがある
ことに気づきました。そこで、ずっと私が思い誤っていた
ことについて、メモしておきたいと思います。