私は、「ちょっかい」とは行動に対する無意識と無責任だ
と言いましたが、それは「ちょっかい」の本質だと思ってい
ます。特に、私の場合はそうです。
 そして哀しいことですが、行動に対する無意識と無責任
こそ、私の本質であるとも思うのです。しかも、それを認め
もせず、弁解と言い訳を探すのに明け暮れしているのです
から、我ながら、何とも情けない姿だと思います。

 たとえ、自分に対しても恥ずかしいと思ってしまう無意識
と無責任が自分の心の中に巣食っているとしても、それを
封印し、それでも、それが思わず飛び出してしまった時は、
潔く自分の非を認める。それが大人の在り方です。
 それなのに、いつまでも自己の正当性を主張しようとす
るのは、いかにも愚かしく情けない態度だと言わざるを得
ません。幸い、私の場合は、そこまで抵抗する力量も根性
もないので、早々に降参してしまいますが。

 大日本帝国の韓国併合も、動機の中には立派なものも
あったのだとは思いますが、結果的に朝鮮半島を不幸に
してしまいました。何よりも、国が二分してしまったことに、
韓国併合をした国は責任を感じなければならないのでは
ないでしょうか?
 けれども、私が浅学であることも、災いしているのだとは
思いますが、これまで、この責任について論じられている
書物に、あまりお目にかかったことがありません。
 無意識と無責任の「ちょっかい」意識が、未だに続いてい
るのではないかと、私は懸念するのです。